小学生スイマーの全国大会「とびうお杯第二十七回全国少年少女水泳競技大会」(浜名湾游泳協会と中日新聞社による実行委主催)は四日、浜松市西区篠原町の市総合水泳場トビオで競泳男女十二種目の予選、決勝を繰り広げた。二つの大会新が出た。  大会新は、女子100メートルバタフライ藤山阿厘佐(ありさ)選手(山口・KSG・徳山)の1分4秒29と、女子100メートル平泳ぎ今井月(るな)選手(岐阜・本巣SS)の1分11秒37。今井選手は、女子200メートル個人メドレーでも優勝した。  県勢では、女子100メートル自由形で渡辺真衣選手(RSCエムテック)が三位に入る活躍をみせた。  五日も競泳男女十二種目がある。 ◆古橋さん敬い 日本代表に憧れ 古橋さんの胸像の周りで「フジヤマのトビウオ」の泳ぎに思いをはせる選手たち=4日、浜松市総合水泳場トビオで  ロンドン五輪の盛り上がりの中、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた浜松市西区(旧雄踏町)出身の故古橋広之進さんにちなんだ小学生の全国水泳大会「とびうお杯」が四日、同市で開幕した。六十四年前、戦後初めてロンドンで開かれた夏季五輪に、敗戦国の日本は参加できなかったが、古橋さんは世界をしのぐ力泳で復興に向かう日本を勇気づけた。  終戦から三年後の一九四八年に開かれたロンドン五輪に、敗戦国の日本やドイツは招かれなかった。東京では五輪の競泳と同じ日程で水泳の日本選手権が開かれ、古橋さんも出場。1500メートル自由形で、五輪の金メダリストよりも40秒以上速く泳いだ。公認記録とはならなかったが、日本中をわかせた。  「ものすごく負けず嫌いだった」。古橋さんと同じ雄踏町出身で、親交の深かった浜名湾游泳協会常任顧問の渥美邦彦さん(74)は振り返る。  戦争中の勤労動員で左手の中指を失った古橋さん。食糧難の時代に「魚になるまで泳げ」と、丸太のように太い腕を水面にぶつける独特の泳法を身につけ、世界記録を三十三回も更新した。  現役を引退後、自身の記録が他の選手に更新されると、「わしが現役だったら世界新を出してみせるのに」と悔しがったという。  「とびうお杯」の会場でも、古橋さんは子どもたちの憧れの的だ。100メートル平泳ぎなどに出場の川村紗永(さえ)さん(グリーン佐鳴)=浜松市広沢小六年=は「私も周りの人の気持ちを背負って泳げるようになりたい」と心強い。  100メートル自由形で五位入賞した稲葉亮介君(エスポ袋井)=袋井市浅羽東小六年=は、今夏のロンドン五輪で銅メダルに輝いた松田丈志選手の力強い泳ぎに憧れる。「僕も頑張ろうと思えたから」。松田選手も子どものころ、とびうお杯に出場した。日本を元気にした古橋さんの泳ぎが、世代を越えて受け継がれていく。 (立石智保)  <ふるはし・ひろのしん> 1928年、旧雄踏町(現浜松市西区雄踏町)生まれ。力強いストロークで突き進む泳ぎで国民的英雄になった。五輪は52年のヘルシンキ大会に唯一出場したが、全盛期を過ぎていてメダルに届かなかった。引退後は日本オリンピック委員会(JOC)会長などを歴任。2009年、世界水泳選手権開催中のイタリア・ローマで病死した。 ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)