24年間の師弟関係が集大成を迎えた。7月31日の競泳男子200メートルバタフライで2大会連続の銅メダルを獲得した松田丈志選手(28)=コスモス薬品=は北京五輪後にスポンサーを失い、一時は現役引退も考えた。宮崎県延岡市にある質素なビニールハウスのプールで育った武骨なスイマーは、それでも故郷で道を究めることにこだわった。そこには「もう一人の母」との強い絆があった。 全力を振り絞ったレース後、松田選手は久世(くぜ)由美子コーチ(65)の首にそっと銅メダルを掛けた。「こういう戦いで負けたら仕方がない」。今の素直な思いを久世コーチに伝えた。延岡市にある東海(とうみ)スイミングクラブ(SC)で4歳から指導を受けた。時には練習法などをめぐって言い争いもした教え子のすっきりした顔に、久世コーチは「救われた気分になった」と目を細めた。 松田選手が延岡学園高3年の秋。久世コーチの思い切った行動が、転機になった。1500メートル自由形で五輪2連覇したグラント・ハケット選手(オーストラリア)のコーチに、片言の英語で合同練習を申し込んだ。第一人者の練習は、何もかもが刺激的だった。今でも必ず行う10種類のウオーミングアップは、この合宿からヒントを得た。 パワーアップを図り、ロンドン五輪での「打倒フェルプス選手」を果たすため、久世コーチは再び動いた。2011年夏の世界選手権後、面識がないライアン・ロクテ選手(米国)のコーチに直談判。米国での約3週間の合同練習が実現した。 2月のメキシコでの高地合宿では毎朝5時から朝食を作った。久世コーチは松田選手が18歳の時から練習ノートをつけており、その数は200冊以上。松田選手が愛知・中京大に進んだ03年からは家族を宮崎に置いて指導に専念した。家族には「今でも申し訳ない」と口にするが、夫と2人の娘には逆に励まされた。 さらなる進化を求めて、松田選手は「全く別の形でやってみたい」と、二人三脚をひとまず終える考えを明かしている。「いいレースだったよ」。久世コーチは独り立ちする“息子”を優しいまなざしで送り出した。=2012/08/02付 西日本新聞朝刊= ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)