バレーボール女子で、強打を拾いまくった佐野優子選手(33)=イトゥサチ、北嵯峨高出=の顔は喜びであふれていた。リベロとして28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。最後の五輪と位置づけたロンドンで、ついに悲願を達成した。 五輪の舞台をずっと夢見てきた。2004年のアテネ五輪直前に代表落ちを味わったことで思いはさらに強くなった。悔しさを胸に、同年、フランスの強豪チームに移籍し、自分のレシーブを鍛え直した。 1点が契約に直結する厳しい環境に身を置き、日本人には打てない体重の乗った重いスパイクを毎日受け続けた。「自分が成長しないと選ばれない。たとえ選ばれたとしても日本は守備のレベルをもっと上げないと勝てない」。五輪に出て勝つために、無我夢中で2年間を過ごした。 海外を経験し、たくましくなった佐野選手は北京五輪代表に選ばれた。決勝トーナメントで初戦敗退し、「北京は『出場した』というだけだった」。33歳で迎えるロンドン五輪を集大成の場と決めた。「後悔はしたくない」と、10年にアゼルバイジャンへと渡り、自分を追い込んだ。 ロンドン五輪では、全8試合に出場。世界の大砲が放つスパイクをコースを読んで拾い、サーブは勢いを殺してセッターの手元に返すなど、大会を通じて安定したプレーを見せた。 恩師の橋本純一・北嵯峨高監督(60)は「メダルに対する思いをプレーからも感じた」。佐野選手とともに北京五輪に出場した同高出身の大村加奈子さん(35)も「五輪前、佐野選手とメダルの約束をしていた。本当におめでとう」と声を弾ませた。 バレーボール人生のすべてをかけて臨んだロンドン五輪。試合後、佐野選手は「一つ一つが最後だと思うと切なかったが、いい試合をしようと思って戦った」と語った。最後だが、最高の五輪となった。