五輪で初めてメダルを獲得した日本人は熊谷一弥(くまがいいちや)氏だ。旧制の宮崎中学校(現宮崎大宮高校)の卒業生。九州テニス協会は毎年、その名前を冠した大会を宮崎市で開催する。弊社が編さんした宮崎県大百科事典によると、宮中時代にテニスを始め、慶應義塾大学に進んだ。家族の回顧談として「夏休みに出身地の大牟田へ帰るとき宮崎—人吉間112キロを歩いた」とある。「スポーツの基本は健脚」をモットーとし、妥協せず実践した。メダルは銀。1920(大正9)年の第7回大会、アントワープで開いた五輪だった。日本人初の快挙だから胸を張って帰国しただろうと思っていたが、そうではなかった。熊谷氏には悔いの残るメダルの色だったようだ。決勝の日は雨。足場は悪く、眼鏡は曇った。メダルの色といえば北京五輪競泳200メートルバタフライで銅メダルを獲得した松田丈志選手の談話が出色だ。「自分色のメダルですね」。松田選手は昨年、世界選手権の同種目で銀メダルを手にした。残されたメダルの色は金色だけだ。ロンドン五輪代表決定後に松田選手は「打倒フェルプスしか考えていない」と表明。米国アリゾナ州での合宿を終えて延岡市に帰り24年間通うプールで練習を公開した一昨日も「金メダルを延岡に持ち帰りたい」と固い決意を口にした。昨夕、延岡駅で松田選手、久世由美子コーチを見送った。本番まで1カ月だ。次は胸に一番きれいな色のメダルが輝く姿を見たい。1968年に77歳で亡くなった熊谷さんも三色そろったメダルコレクションの完成を待望しているだろう。