石川県ウエイトリフティング協会が発足して今年で50年目。金沢学院大はロンドン五 輪に嶋本麻美(24)=職員=と八木かなえ(20)=スポーツ健康学部2年=両選手を 送り込み、北京から2大会で4人の五輪選手を輩出した。同大を中心に、ウエイトリフテ ィングは「石川から世界をつかめる競技」として、この地に根を張っている。  「ファイトー!」「しっかりー!」。日本一と言われる広さと充実した設備を誇る金沢 学院ウエイトリフティング練習場では、金沢学院大の学生と職員、金沢学院東高の生徒合 わせて約60人の掛け声が響く。同大の部員は48人と全国最多。金沢だけでなく、珠洲 、津幡、小松と、ウエイトリフティングが盛んな地は県内に点在する。  石川にウエイトリフティングが根付いた第一の理由として、県協会の発足に尽力し、の ちに理事長と会長を務めた西野正次氏(76)=金沢市=は、一流の指導者に恵まれたこ とを挙げる。  その筆頭が、ロンドン五輪で日本代表のコーチを務める菊田三代治氏(県立盲学校教頭 )である。菊田氏は数々の名選手を育て上げ、高校の各種全国大会や国体でチームを優勝 に導いた手腕が認められ、2001(平成13)年には全日本男子の監督に就任。04年 のアテネ五輪が終わるまでチームを率いた。  「石川から世界を目指したい」。中央で日本を率いた菊田氏の胸には、新たな欲求が生 まれていた。「願わないことはかなわない」が信条の菊田氏は、周囲の協力を得て目標の 実現に突き進んだ。  05年に国が金沢をウエイトリフティングの「聖地」に位置付け、07年から高校選抜 大会を金沢で継続開催。08年にはアジア選手権が金沢に誘致された。同年の北京五輪に は金沢学院勢の新谷義人、齋藤里香両選手が出場した。菊田氏は「石川の世界戦略は一気 に加速した」と確かな手応えを感じ取った。  1962(昭和37)年、金沢高に県内で初めてウエイトリフティング同好会が発足し た。47年に第2回国民体育大会が石川で開催された際のバーベルが金沢市の県体育館に 残されており、それで高校生が遊び始めたのが、石川のウエイトリフティングのスタート だった。  菊田氏は「子どもたちが自然とバーベルに親しむ環境を石川につくりたい」と願う。次 代のホープにウエイトリフティングの魅力を伝えるのに、五輪以上の舞台はない。八木、 嶋本両選手が間もなく、その大舞台で世界に挑む。