一人の女性ストライカーが今夏、初の夢舞台に挑んだ。ロンドン五輪ホッケー女子代表として出場した宇都宮市出身の柴田あかね選手(24)=グラクソ・スミスクライン=は全6試合で無得点に終わり、苦い記憶を刻んだ。 (磯谷佳宏)  1次リーグで1勝1分け3敗と振るわなかった。その後、南アフリカとの順位決定戦に勝ち、北京五輪の10位を上回る9位となったが、6強入りを狙ったチームの不振は、6試合で6ゴールと得点力不足が原因だった。  責任の一端を背負い込んだであろう柴田選手。だが、意地を見せたシーンがある。1次リーグ最終戦の中国戦。後半19分、日本はペナルティーコーナー(PC)から決勝点を挙げた。直前、右クロスからゴール前に果敢に飛び込んだ柴田選手が相手のファウルを誘い、得たPCだった。  「私は栃木に帰る」。二〇〇八年の北京五輪直前、代表候補合宿が母校の天理大(奈良県)であった。最後に告げられたのは「落選」の二文字。監督らから「北京に観戦に行かないか」と聞かれたが、断った。「観客として行きたくなかった。五輪は選手として行くべき場所だから」  悔しさの半面、仲間を応援したくて実家に帰っても「さくらジャパン」の勇姿をテレビで見た。自らに足りない部分も見つめ直した。「自分のプレーは安定感に欠けていて、浮き沈みが激しい」。気持ちのコントロールを心掛けた。  一方で、長所にも磨きを掛けた。身長わずか152センチの小さな体から繰り出されるプレーを支えるのは「一瞬の動き」。体ごとボールの前へ入る動きや、サイドライン際でのドリブルなど持ち前のスピードを強化した。  自身も、母京子さん(49)も認める「負けず嫌い」。小学校時代の6年間、持久走大会はすべて1位だった。「走るからには負けたくない。スポーツになると闘争心がわいてくる」。幼少期のエピソードが、根っからの勝負師を物語る。  北京の雪辱を果たすはずだったロンドン。「FWとして得点に絡みたい」。願いはむなしくノーゴール。国際舞台は簡単に夢や目標をかなえてはくれない。だが、得た経験もまた、大きかったに違いない。無類の負けず嫌いは4年後、リオデジャネイロの舞台に立つことになれば、きっと歓喜のガッツポーズを決めるだろう。