ロンドン五輪のサッカー女子で、宇都宮市出身の安藤梢選手(30)=デュイスブルク=が、三大会連続となる五輪出場で初の銀メダルを手にした。十代から日の丸を背負い続けたベテランの礎には、サッカーに対する飽くなき向上心があった。 (磯谷佳宏)  「プロになりたい。ドイツでやりたい」。浦和レッズレディース時代の二〇〇五年冬、当時のフロント責任者だった現J2栃木SCの新田博利ゼネラルマネジャー(61)は、安藤選手の力強い言葉を今も鮮明に覚えている。  男子でさえ、欧州のクラブでプレーする選手はまれな当時。むろん、女子は日本代表が〇〇年のシドニー五輪出場を逃し、国内のクラブスポンサーが相次いで撤退していた。〇四年のアテネ五輪出場で、再び一筋の光が差し始めたころだった。  時代の潮流に逆行して女子のプロ化を進めようとしたクラブ側の意向と、本人の強い希望が合致。新田氏は安藤選手をドイツ一部リーグの名門バイエルン・ミュンヘンに二週間、短期留学させた。  「本人は『雪で練習できませんでした』と笑っていたが、文化や選手の考え方、レベルが分かったのは、いい経験だったのでは」と新田氏。留学は〇九年からドイツリーグに移籍する布石となった。  だが、移籍後、ギャップがあった。「ドイツはぐちゃぐちゃのピッチでもサッカーをする。その中で、フィジカルの強さを培っている」と安藤選手。望んだ先は理想郷ではなかった。だからこそ、徹底的に強靱(きょうじん)な肉体に磨きを掛けた。  浦和の前身さいたまレイナスFCから七年間、ともにプレーした現栃木SCレディース監督の田代久美子さん(31)は当時から「体の強さがあり、人に当たられても、倒れなかった」と振り返る一方で、ドイツ移籍後の安藤選手に目を細める。「日本人と外国人では違う。外国人にも耐えうる強さが今はある」  安藤選手の今大会最初のプレーは途中出場した一次リーグ初戦、相手への強烈な深いタックル。ロンドン五輪に懸ける思いを如実に示す場面だった。その後の試合でも、果敢にゴールを狙った。  安藤選手は言った。「去年はワールドカップで優勝して、日本中が一つになって喜べた。ロンドンでも金メダルを取って、また一つになって喜びたい」。悲願の「金」ではなかった。決勝の舞台にも立てなかった。だが、日本女子サッカー界のパイオニアの一人。表彰式で、胸にかけられた銀メダルを見つめた。会心の笑みが広がった。