関塚隆監督  ロンドン五輪サッカー男子準決勝に進出した日本代表の関塚隆監督(51)は一九八四年から九一年までの八年間、浜松市の本田技研工業サッカー部(日本サッカーリーグ)=現在のJFLホンダFC=に在籍していた。関係者は「彼ならできる。メダル獲得を」とエールを送る。かつてFWとしてプレーした指揮官の素顔とは-。  関塚さんは早稲田大卒業後の一九八四年に本田サッカー部に入部。一年目で十一得点を挙げ、日本リーグの新人王とベストイレブンのタイトルを獲得した。当時、コーチを務めていた設楽光永さん(56)は「したたかな計算ずくのゴールにうなった」と振り返る。  設楽さんによると、関塚さんは味方からのボールに、あの人のクロスはニアサイドが多いのでこの位置取り。彼のクロスはファーサイドに飛ぶことが多いので少し遅れ気味にジャンプする-といったふうに特徴をしっかりと把握して必然のゴールに結び付けていた。現役中も相手との駆け引きや試合への取り組み、選手のモチベーションの高め方などを研究していたという。 設楽光永さん  ことし七月の五輪最終メンバー発表の時は、選手の起用をめぐって批判が相次いだ。しかし、設楽さんは「すべて勝つために、彼が計算したメンバー。間違いないと信じていた」と話す。  五輪サッカー男子の1次リーグ二連勝の後、関塚さんから設楽さんにメールがあった。「これからは総力戦でいくよ」。案の定、三戦目はメンバーを変えてきた。設楽さんは「みんなで戦うというメッセージが込められていた。控え選手に実際のピッチ状況、相手のプレッシャーを体感させる意味もあったのでは」と読み取った。  本田技研工業サッカー部の元OB会長の関強史さん(62)は「日本の歴史を塗り替え、メダル獲得を」とエール。設楽さんは「五輪日本代表だけでなく、日本代表監督にもなれる器」と期待している。 (川住貴)