ロンドン五輪で男子フルーレ団体が史上初の銀メダルを獲得し、注目が集まるフェンシング。国内では長らくマイナー競技の域を出なかったが、地元国体の際に会場になったことから競技が根付いた土地も少なくない。太田雄貴選手を輩出したクラブの拠点である京都府大山崎町などがそうだ。県内でも、清新国体(1967年)のさいたま市(旧与野市)、彩の国まごころ国体(2004年)の蓮田市で市民クラブが活動している。■まごころ国体準備から 先月、東京都内で開催された全国少年フェンシング大会で、上尾市の浅海正哉君(11)が小学4~6年男子の部で3位入賞。弟の聖哉君(9)が同3~4年男子の部で頂点に輝いた。2人の所属は「蓮田フェンシングクラブ(FC)」。蓮田市閏戸の総合市民体育館「パルシー」を拠点に活動するクラブだ。 同クラブの設立は1999年6月。まごころ国体で同市が競技会場になったことから、98年に講習会が開催され、参加者がその後も定期的に練習会を行ったことがきっかけとなった。現在は小学1年生~50代までの約30人が登録、フルーレを中心に週1、2回の練習を行っている。 同クラブ会長の斎藤文男さん(63)は「最初は関係者のみだった」と振り返る。変化が起きたのは北京五輪で太田選手が銀メダルを獲得してから。コーチを務める浅海兄弟の父・正太郎さん(39)も「やはり人が増えましたね。以前はうちともう1家族くらいでしたから」という。■工夫して乗り切る 熱意から生まれたクラブとはいえ苦労も多い。試合を行うには、選手自身の装備のほか電気審判機、「ピスト」といわれる競技場などを要する。特に、攻撃の有効・無効を判定する審判機は必須だが、いずれも高価だ。蓮田FCでは、審判機3台を保有。ピストは体育館にあるバドミントンのラインで代用する。 公共施設を利用するため、練習スペースやひん度は限られる。全員で実戦形式の練習はできないが、順番待ちを兼ねて子どもが審判もこなす。時には分からなくなってコーチに相談する姿も。練習場を借りられない時は都内のクラブに出稽古に行くこともある。「工夫して乗り切っています」と正太郎さん。■競技人口増加 不自由な面もあるが「面白いよ」と海老原菜貴さん(10)と大平汐莉さん(11)。今夏の全国少年フェンシング大会には浅海兄弟を含め6人が出場した。日本フェンシング協会によると、小中学生の出場する大会としては国内最大。太田選手や三宅諒選手が小中学生時代に優勝したことでも知られている。 5日から6日にかけて準決勝・決勝をテレビ観戦した浅海兄弟は劇的な試合に興奮。「イタリアの選手は(体格など)有利な条件を使ってプレーしていた」と正哉君。「太田選手が最後まで諦めなかったのがすごかった」(聖哉君)と"先輩"たちの活躍に、自宅での練習にも力が入った。 高校時代に強豪校で競技をしていた正太郎さんも近年、競技人口の増加を感じているという。「1人でも多く楽しんでもらって、そこから競技にも行ってもらえれば」。言葉に力がこもった。 【メモ】県内では蓮田FC、さいたま市フェンシング連盟(中央区)、よみうりカルチャーおおみや(大宮区)などが活動している(学校部活動を除く)。