ロンドン五輪第10日の5日、フェンシング男子フルーレ団体で日本が銀メダルを獲得した。千田健太選手の父健一さん(55)と、淡路卓選手(23)=ネクサス、宮城・東北工大高出=の父寛さん(55)も現地で応援した。ともに息子にフェンシングの基礎をたたきこんだ2人。感慨深げに表彰台を見詰めていた。 気仙沼市松岩中、気仙沼高と厳しく指導した千田選手が決戦の地に登場すると、健一さんは「決勝のピストに立つ息子を見られるとは夢のようだ」と興奮した。 日本がボイコットしたモスクワ五輪(1980年)のフェンシングで幻の代表。ロサンゼルス五輪(84年)も狙える力はあったが、宮城県の教員採用の年齢制限があり、「断腸の思い」で競技をやめた経緯がある。 北京五輪後に千田選手が大学卒業後の活動拠点を探していた時、「就職できなくても俺がサポートする」と励まし、勇気づけたことがあった。フェンシングを続けたくても続けられなかった自らの苦い経験があったからこその言葉だった。 個人戦は初戦敗退した千田選手だが、団体戦では最高の動き。健一さんは「ずっと気持ちが張り詰めていたはず。お疲れさまと言ってあげたい」とねぎらった。◇ 準々決勝、準決勝と出番がなかった淡路選手は決勝のイタリア戦で出番が回ってきた。世界ランキング1位のカッサーラ選手と渡り合い、普段は厳しい寛さんも「今日の動きは良かった。褒めてあげたい」とたたえた。 淡路選手が競技を始めた仙台市蒲町小4年から宮城・東北工大高を卒業するまで、付きっきりで息子を指導してきた。 淡路選手が「(漫画の)『巨人の星』みたいな感じ。スパルタです」と振り返るように、厳しい練習を積ませた。「自分の子どもについては後悔しないように面倒を見たい」という強い親心があったからだ。 競技を始めたころに2人で約束したことは「誰も到達できないような選手になる」こと。「金メダルを取らないと目標を達成したことにならない。次は、取るでしょう」と期待した。(ロンドン=大橋大介)