練習すればするほど、不安が募る。「これだけやったのに、もし駄目だったら」。しかし、その懸念を振り払うのも練習しかない。何事も寄せ付けぬ、圧倒的な地力を養うために−。 副島正純、41歳。諫早市出身、福岡市在住の車いすランナーだ。米ハワイ州のホノルルマラソン6連覇など数々の国際大会を制してきた。ロンドン五輪に引き続き、29日に開幕するパラリンピック。副島はこの大会、車いすマラソンに出場し頂点を目指す。   ∞    ∞ 23歳のとき、実家の鉄工所の作業を手伝っていて、約300キロの鉄板の下敷きになり、脊髄を損傷した。約2カ月、ベッド上で寝返りも、背中をかくこともできなかった。「絶望」。その言葉しか浮かばなかった。 その後は車いすの生活。事故翌年の1995年、友人に連れられて車いすマラソンの大会を観戦した。最高で時速70キロにも達するスピード。その迫力に圧倒された。以来、競技にのめり込むようになっていく。 「もともとスポーツが大好きだった」。小学1年から高校2年までは剣道に励んだ。勝負に対する情熱、負けん気の強さは身に付いていた。 車いすバスケットボールもやったが、団体競技はほかの人のプレーが敗因ともなる。それより、勝ちも負けも自分次第という個人競技の方が性に合っていた。   ∞    ∞ 2000年のシドニー・パラリンピック。練習をともにしたこともある廣道純(ひろみちじゅん)(38)=大分市=が車いすレースの800メートルで銀メダルを獲得した。「あの舞台に立ちたい」。新たな目標を見据えた瞬間だった。 2004年、アテネでそれは実現する。1600メートルリレーで銅メダルを手にもした。だが、マラソンは38人中10位。世界との差を実感した。 「練習が足りない」。勤務していた病院を辞め、05年から障害者アスリートを支える「シーズアスリート」の発足に参加した。福岡県内を中心とした企業と個人の会費で運営されており、副島も含め4人の障害者アスリートが所属している。 講演活動、会報誌の作製、会員獲得に向けた営業などをこなし、給料が支払われる仕組みだ。練習時間は確保されており、大会前は集中的なトレーニングもできる。 成果は表れた。同年から6年連続してホノルルで優勝。東京、ボストンでも頂点に立った。東京では、11年に大会新記録もたたき出すほどになった。   ∞    ∞ 「くっそー…」。7月下旬、福岡県筑後市のトレーニングジム。副島は歯を食いしばり、筋力アップに取り組んでいた。半袖からのぞく2本の腕。負荷をかけるたび、幾重にも絡み付いた筋肉が浮かび上がる。シャツの上からも、上半身の筋肉の隆起が分かる。 通い始めて約1カ月。「左右のバランスがよくなっている」。オーナーでトレーナーの江上猛(40)は成果を口にする。以前は、車いすをこぐため両腕を振り下ろす動作に左右で強弱があった。胸筋より背筋が弱いなどバランスも悪かったが、背筋が一回り大きくなりそれも緩和された。 練習漬けの競技生活には、諫早の友人も舌を巻く。高校から副島をよく知る山崎三郎(41)は「高校のときから根性はあったが、世界クラスとは思ってなかった」。 一日に50〜60キロ走ることはざらだ。妻の美幸(39)がほとんどの練習と試合に同行し、副島のレースをサポートする。強化期間は諫早市の干拓地や多良岳に続く坂道で特訓し、仕事があるときには自宅からほど近い福岡市東区の海の中道を走る。 「大会では、すべての選手が最大限の努力をしてくる」。そう言い切る副島。その中で勝負の明暗を分けるもの。「99%は運」。4年前の北京では最後のトラックに入る直前、他国の選手に接触されて転倒した。 だからこそ、誓う。「最初から先頭を走り、レースをコントロールしたい」。今回のコースは傾斜やカーブも多く、高速のレースは望めない。 プレッシャーも、コース条件も、不運さえも跳ね飛ばすだけの桁違いの強さ。副島がその頂に到達するかどうか。結果が出るのは間もなくだ。 =敬称略    ◇      ◇ 副島選手の登場する車いすマラソンは9月9日午後7時半(日本時間)から。同月3〜5日に予選から決勝がある1500メートルにも出場する。=2012/08/22付 西日本新聞朝刊=