悲願の金メダルには届かなかった。それでも達成感に満ちた表情で銅メダルを掲げた。ロンドン五輪競泳の男子200メートルバタフライ。松田丈志選手(28)=コスモス薬品=は2大会連続の銅メダルに悔しさをのぞかせながらも「多くの方に支えられたメダル」と胸を張った。バドミントンの混合ダブルス1次リーグで敗退した池田信太郎選手(31)と潮田玲子選手(28)は笑顔で完全燃焼を強調。力の限り戦った姿に、九州の関係者らは大きな拍手を送った。 メダルの色は北京五輪と変わらない。それでも松田選手は胸を張った。「北京から4年ぶりに会心のレースができた」。逆境を乗り越えて手にした銅メダルを見つめた。 残り50メートルは2番手でターン。フェルプス選手(米国)、優勝したレクロー選手(南アフリカ)とデッドヒートを繰り広げた。悲願の金メダルにわずか0秒25差。タイムは高速水着禁止後、自身初の1分53秒台だった。 不器用なまでに真っすぐに生きる。2008年の北京五輪からの4年、松田選手は何度も頭を下げた。日本の大手スポーツメーカーの契約社員でありながら、北京五輪には英メーカーの高速水着を着用して臨んだ。銅メダルを手に帰国すると、責任を取って自ら契約解除を申し出た。 景気低迷でスポンサーも失って迎えた2010年の夏。“リクルートスーツ”を着込んだ松田選手は福岡市内で「どうしても取り忘れたものがあるんです」とコスモス薬品の関係者に支援を訴えた。約10カ月も所属先が決まらなかった松田選手は「ここ(五輪)に戻ることが想像できない日もあった」と打ち明ける。 出身地の宮崎県延岡市にある企業も支援金などで応援してくれた。絶望からはい上がった松田選手は、支えてくれる人たちの思いも力に、自分を追い込んだ。「フェルプス選手を倒して金メダル」−。泳ぎを突き詰めるための研究対象は陸上の生物にも及んだ。軸がぶれないチーターの走りを研究し、体幹を鍛え、より上下動の少ないフォームを追求した。 4歳から通った延岡市の東海(とうみ)スイミングクラブ。25メートルプールには当時、温水設備がなかった。夏の太陽光線と冬の寒風をしのぐためにビニールハウスで覆われている小さなプールで「世界一」への思いを育んだ。3度目の五輪のプール。金メダルに迫った松田選手は「北京のときよりでかいですね」。サイズだけではない。「みんなで取った」と掲げた銅メダルは支えた人の夢と希望も詰まり、ひときわ大きく映った。=2012/08/01付 西日本新聞夕刊=