日航ジャンボ機墜落事故から二十七年を迎えた十二日、墜落した上野村の「御巣鷹の尾根」へ慰霊登山した遺族たちは、標高約千五百メートルの「天国」へと続くかのような険しい山道を一歩ずつ踏み締め、墓標で故人と念願の対面を果たした。 (池田一成、菅原洋)  一九八五年八月十二日午前八時十五分ごろ、長男の会社員新田改三さん=当時(26)=を奪われた母の桂子さん(77)=広島県三原市=はなぜか胸騒ぎがした。  改三さんの会社に電話すると、「これから出張する」。同日午後十二時十五分ごろ、墜落機に搭乗前の改三さんから「今日は忙しくて話す時間がない」と最期の電話があった。  「あの時無理にでも、もっと話し掛けていたら」-。その後悔を、桂子さんは二十七年間引きずってきた。  桂子さんは家族と墓標に改三さんが好きだったたばこに点火して供え、「弟三人の面倒をよくみてくれ、就職してからは帰省の度に親に小遣いを渡す息子だった」と目にうっすらと涙を浮かべた。  宝塚女優だった吉田由美子さん=当時(24)=を失った横浜市の母公子さん(78)は毎年、夫の俊三さんと慰霊登山をしてきたが、昨年五月にがんで亡くした。娘の芸能界入りに尽力してくれた社長も数年前に他界し、「次々と人が亡くなり、寂しくなった。私もいつまで登れるのか」と心配する。  「(娘は)宝塚に行く前は器械体操をやっていたが、ロンドン五輪の競技を見る度に、当時の姿を思い出す」と目を細めた。  墜落機の高濱雅己機長=当時(49)=の妻淑子さん(68)=千葉市=は家族と、かつて同僚の航空機関士だった藤川秀男さん(77)と登山。家族には、パイロットや客室乗務員がいるなど飛行機との縁は今も続く。淑子さんは「事故以来、二度とあのようなことがないように空の安全を願ってきた」。また今回は孫の優人ちゃん(2つ)や真琴ちゃん(4つ)を連れてきたといい、「子どもたちの元気な姿を(機長に)見せることができた」と微かに笑みを浮かべた。