ロンドン五輪で日本人の金メダル第1号が期待される柔道女子48キロ級の福見友子選手が28日午後に登場する。土浦市で生まれ育ち、幾多の逆境を乗り越えて悲願の大舞台に立つ27歳。恩師や福見選手を知る地元関係者は温かいエールを送る。 (井上靖史)  同選手は土浦市立大岩田小-同六中-土浦日大高-筑波大卒。今も筑波大を主な練習場所とし、つくば市内で暮らす。柔道は一九九二年のバルセロナ五輪を観戦して感動した母の勧めで、八歳から始め、小中学時代は県内や千葉県など複数の道場で技を磨いた。  学校法人土浦日大学園常務理事の佐藤豊さんの息子は福見選手の兄と幼なじみの同級生。兄とともに福見選手が自宅によく遊びに来たという佐藤さんは「幼いころからハキハキしていてスポーツ万能。バスケット、バレーボール、駆けっこと何でもできた」と鮮烈な記憶が残る。  小二から中二まで土浦市内の亀城公園管理棟内の道場で教えた土浦市体育協会柔道部長の埜口義勝さん(68)も「投げを教えれば、すぐに覚えた。センスは抜群だった」と振り返る。小学時代から道場の端から端まで約十八メートルを倒立歩行するなど運動能力の高さを示す逸話は数知れない。  中学から福見選手を見てきた土浦日大高柔道部総監督の落合正利教諭(59)は必ず五輪に行くだろうと早くから確信した。「勝っても喜びの表情を出さないあたりは、ただ者でないと思った」  早くから五輪出場が期待されたが、挫折や悔しい思いをした。  高校二年だったちょうど十年前の二〇〇二年、それまで日本人選手に十二年間負けていなかった谷(旧姓田村)亮子さんを倒し、一躍有名になったが、以後は常に注目される環境に戸惑い、長いスランプに陥った。その時の思いを当時コーチで現在、土浦日大高女子監督の土田美知恵教諭(40)への交換日誌で「自分の柔道がわからなくなった」と明かした。  復調してからも順風ではなかった。大学時代、世界選手権の事実上の代表選考試合で再び谷さんを破って優勝したが、それまでの実績を考慮して代表には谷さんが選ばれた。谷さんは世界選手権で優勝し、翌年の北京五輪にも出場した。  谷さんの引退後は「ポスト谷」をめぐる激しい代表争い。つい最近までライバルの浅見八瑠奈選手に連敗し、一時はロンドン行きは絶望視された。しかし、「勝っても負けても最後に自分を出し切らなければ」と今年五月の最終選考の大会に挑み、優勝して代表の座をつかみ取った。  「スーパー高校生」と騒がれてから初の五輪まで十年。佐藤さんは「苦節十年、よく我慢した」と感激する。高校時代、福見選手に「yes I can(私はできる)」という信念を授け、道場に横断幕を張って励まし続けた落合教諭は「彼女の集大成。闘志満々でやってほしい」とロンドンで応援する。  高校時代の学業の評定が平均四・八(五段階評価)と文武両道を貫いたあたりにも精神的な強さを見て取れる福見選手。代表決定後の土浦日大高の壮行会で、こう意気込んだ。  「柔道が好きだからここまでやってこられた。山あり谷ありの柔道人生だけど、金メダルを取りたい。重圧はあると思うけど、これが五輪か、と感じながらできればいい」 ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)