一九六八年のメキシコ五輪以来のメダル獲得に挑んでいる男子サッカーを、県内から熱いまなざしで見守る人がいる。メキシコ五輪で銅メダルに輝いた元日本代表メンバー鎌田光夫さん(74)=四日市市三滝台。三位決定戦の韓国戦に向け「昔からの宿敵。いい勝負になると思う。存分にやってほしい」と後輩たちにエールを送る。  日本時間八日未明にあった準決勝のメキシコ戦は、自宅のテレビでメモを取りながら観戦。大津祐樹選手の先制ゴールは「素晴らしかった」とたたえた。結果は逆転負けとなり「(ロンドン五輪で)初めて失点し、少なからずショックもあったのでは」とみる。  まだプロのJリーグもなかった時代。茨城県で生まれた鎌田さんは、サッカーをやっていた父や兄の影響で親しみ、中学時代はサッカー部がなかったため野球部に入り、高校から本格的に始めた。ディフェンス(DF)のポジションを中心に名門の古河電工や、大協石油(現在のコスモ石油)で活躍。六四年の東京五輪で日本代表の一員に選ばれた。  メキシコ五輪は、東京五輪とほぼ同じメンバーで臨んだ。三位決定戦で対戦したのも今大会と同じメキシコだった。「当時のメキシコチームは先制されると熱くなって攻めてきたが、今は変わった。冷静なメンバー交代で手を打ってきた」と相手の強さを認める。  メキシコ五輪の準決勝で敗退後「歴史をつくろう」と全員が強い思いで臨み、日本のサッカーにとって初のメダルを勝ち取った。「今大会もこれだけの結果を残してきたのだから、もう一度力を奮い立たせて、ぜひメダルを」と次の試合に思いをはせる。  ユース日本代表の監督などを歴任し、現在は県サッカー協会顧問。地元の中高年のクラブチームの会長兼選手も務め、週三回はグラウンドでボールを追う。「自由に楽しくサッカーができる環境になった。次世代の子どもたちにも、高いところを目指して続けてほしい」と願っている。  (神谷円香) ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)