ロンドン五輪に臨むサッカー日本代表の最終メンバー十八人が二日発表され、名張市矢川出身の山口蛍選手(21)=セレッソ大阪=が選出された。県内出身者で五輪行きが決定したのは四人目。待ちに待った吉報が舞い込んだ地元関係者には喜びが広がった。  「夢のようや」。矢川地区の住民ら百人余りでつくる後援会「蛍サポータークラブ」代表の井上政征さん(71)は声を弾ませた。日本サッカー協会の発表直後、後援会のメンバー約十五人が集まり、喜びを分かち合った。早速、新しい横断幕の製作を決め、業者に発注。井上さんは「活躍してロンドンで光り輝いてほしい」と力を込めた。  地元クラブで小学校時代の山口選手を指導した坂本克則さん(44)=会社員=は「全試合フル出場して、得点にも絡んでほしい」と活躍を期待。山口選手と同級生で小学校時代からの友人の中森大介さん(22)も「蛍なら五輪でもやってくれるはず。もっとビッグな選手になって世界を目指してほしい」とエールを送った。名張市の亀井利克市長は「市民こぞって、ご活躍をお祈りしています」とのコメントを発表した。 自宅玄関前で、広州アジアカップでの金メダルを首にかけ、父憲一さん(左)、兄岬さん(右)と並ぶ山口蛍=2010年末 ◆父と兄、安堵  「選ばれたよ」。日本代表入りした次男(蛍選手)からメールで報告を受けた父山口憲一さん(45)=会社員=は「素直にうれしい」と喜んだ。兄岬さん(24)=同=も「良かった。本当に良かった」。成長を一番近くで見てきた二人にとって、蛍選手が世界の舞台までたどり着いた安堵(あんど)感は大きかった。  幼少期は、兄弟そろって、いたずら好きのやんちゃ坊主。近所のため池の水を抜いて大目玉を食らったこともあった。「田植えの時期じゃなくてよかった」と、憲一さんは当時を振り返って笑う。  蛍選手は小学三年生のころ、岬さんとともに地元のクラブに入ると、周囲が驚く速さで上達していった。コーチだった憲一さんがどんなに難しい要求をしても、簡単にやってのけた。岬さんにとっては「天才肌」の弟がうらやましくもあった。  中学からセレッソ大阪の下部組織に入り、蛍選手のプレーを直接見る機会は減った。それでも憲一さんは試合の結果を欠かさず調べ、アドバイスを送り続けた。  「国を背負う重圧に負けず、自分のプレーをしてほしい」というのが今の家族の願い。ロンドンでの活躍を楽しみにしている。  (小西亮) ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)