ロンドン五輪のレスリング男子グレコローマンスタイル96キロ級で、佐野市出身の斎川哲克(のりかつ)選手(26)=両毛ヤクルト販売=はまさかの初戦敗退。メダルの悲願は果たせなかったが、高校からレスリングを始めて上り詰めた夢舞台。運命の出会いが、すべての始まりだった。 (磯谷佳宏)  県立足利工業高校入学直後、近所の先輩が所属しているレスリング部を見学に行った。目の前で指導していたのは、ロサンゼルス五輪のレスリング男子フリースタイル82キロ級の銀メダリスト長島偉之(ひでゆき)さん(59)だった。  小学校時代は柔道、中学時代は陸上の棒高跳びと、レスリングとは無縁の十五歳に、長島さんは「線の細い子だったけど、目がらんらんと輝いていた」と当時を振り返る。声を掛けると、入部を申し出てきた。物語の一ページが開かれた。  「最初は全然、勝てなかった。正直、期待していなかった」と笑うのは父晃一さん(58)。母弘子さん(54)は一年生の春に、試合を見に行き、豪快に投げ飛ばされて負けたことを今も覚えている。競技を始めたばかりの息子が負けた姿に、半ば納得ずくの母。だが、長島さんの言葉に耳を疑った。「あの子は非凡だ」  長島さんは当初から斎川選手の才能を見抜いていた。「教えるとすぐに、すべてをパーフェクトに身に付けてしまう」。最初は身ぶり手ぶりで指導していたが、いつしか「口で言えば、できるようになっていた」。  最も驚がくしたのは三年生の折。全日本ジュニア選手権に向け、斎川選手から告げられた一言だった。「グレコ(ローマン)で出たい」。グレコローマンスタイルの練習をさせたことはない。半信半疑で了承すると、圧巻の優勝。「こいつ、何者だ」と舌を巻いた。  長島さんの母校・日体大へ進み、四年生で迎えた北京五輪の代表選考を兼ねた全日本選手権。斎川選手は直前に肩を痛めた。決勝で敗れ、北京への夢は断たれた。「次は絶対に出る」。初めて強く意識した五輪。ロンドンへの道が始まった。  昨夏には欧州遠征。見知らぬ土地での武者修行で、実力に加え、精神面も成長した。今年六月、五輪の前哨戦とされるピトラシンスキ国際大会での優勝は進化の証しだった。  斎川選手は言った。「日本では軽量級ばかりが注目されて悔しい思いをしてきた。世界が注目する最後のマットに立ちたい」。思いは届かなかった。それでも、恩師と挑んだ二人三脚の道のりが、色あせることはない。 ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)