サッカー男子の関塚ジャパンが「伝説」を生もうとしている。1次リーグで優勝候補の筆頭格スペインを撃破し、日本中に感動を与えてくれるきっかけをつくった。1次リーグを3戦負けなし、無失点で通過。勢いに乗り、この日は準々決勝。会場は香川が加入したばかりのマンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールドトラフォードだった。  7万772人の大観衆が見詰める中、日本はエジプトに3-0の快勝。貴重な2点目を決めた吉田主将は「ここでサッカーができる喜びを感じていた」という。サッカー男子で日本が4強入りしたのは、銅メダルを獲得した1968年メキシコ大会のみで、いまなおアジア勢唯一の五輪メダルである。同主将は「次に勝てば、また新しい歴史を刻める。あと2回しかこのチームでサッカーができないので、かみしめてやりたい」と声を弾ませた。  ▽清武がおぜん立て  ベスト4入りへの意気込みが、見ている者にも伝わってくる激しい動き出しだった。試合開始わずか30秒。永井の左クロスをゴール正面で清武がヘディングシュート。逸機したが、特に立ち上がりの10分まで、日本は意識的に左右両サイドへボールを散らして相手DFを戸惑わせた。スペイン戦と同様に永井も前線から激しいプレスをかける。ボール支配率では劣っていても、「ここぞ」の突破と精度の高い長短のパスはこの日も健在だった。シュート総数は日本の15に対してエジプトは6だった。  前半14分、開始直後から心配になるほどの運動量でピッチを駆けていた清武がプレスをかけてボールを奪取すると、右サイドから間髪入れずにゴール前に走り込んだ永井にクロス。背番号11は飛び出したGKをかわして先制点を挙げた。今大会に入って乗りに乗るストライカーのゴールは、何よりもチームに勇気と希望をもたらしたことだろう。そして前半41分、相手DFが斎藤を倒して一発退場。くしくもスペイン戦と同じ時間に日本は数的優位の幸運を手に入れた。「神懸かり」的な偶然なのか。いや、それは間違いというものだ。リスクを冒さなくては阻止できない日本のスピードが、神様を味方につけたというのが正しい。  後半33分には吉田、その5分後には大津がそろってヘディングシュートを決め、突き放した。得点者に目を奪われがちだが、2点目の起点となったFKは清武が計算して低い弾道のボールを蹴ったことで吉田が相手のマークを外せたものだし、3点目も扇原と清武のワンツーから見事な左クロスが生まれた。この日の清武の働きには恐れ入った。そんな殊勲者は「なでしこもあれだけ頑張っている。男子も負けられない。次の試合があるので切り替えたい」と勝利の余韻に浸っている様子はなかった。あと2勝を真剣に狙っている。  ▽聖地で偉業達成を  銅メダルを獲得したメキシコ大会は今もなお日本サッカー史にさん然と輝く金字塔である。釜本、杉山、小城、横山…。「長沼ジャパン」は、きら星のごとくタレントがそろった個性派集団だった。当時の代表18選手中14人が日本サッカー殿堂入りしていることからも分かるように、日本サッカーの本当の意味での出発点として語り継がれてきた。その偉業に肩を並べる一歩手前まで迫っている。関塚監督は「本当に、自分たちの持っているものをしっかり出した試合。コンディションを整えて、ロンドンでの試合を楽しみたい」と話した。日本サッカー協会によると、この試合で負傷退場した永井は左太ももの打撲、東は左足首の軽い捻挫で、ともに軽症のようだ。天は見放してはいない。  準決勝からの舞台はフットボールの聖地「ウェンブリー競技場」。基本的に使用されるのはイングランド代表の国際試合やFAカップ、リーグカップの各決勝だけ。この芝生に立つことは選手、審判を問わず、サッカー人最高の名誉ともいわれる。いよいよ7日午後5時(日本時間8日午前1時)、関塚ジャパンは銀メダル以上を確定させるため、セネガルを破ったメキシコとの準決勝に臨む。ちなみに、メキシコ大会の3位決定戦の相手もメキシコだった。 (47NEWS 浜田潔)