北島康介が身にまとっていたハンターの野性。表現は褒められないが、メダルに挑むギラギラした獣性が、すっかり消えた。プールから上がった後のさっぱりした顔つきが象徴的だった。エースは偉業を逃した。しかし、お家芸の大看板を次代のリーダーにしっかり渡した。  ▽蛙王、最後の挑戦  「100mの勝利の確率は9割。でもこれを逃すと200mは厳しい」。日本代表ヘッドコーチであり、北京五輪まで北島を指導した平井伯昌の6月の見立てである。北島のスタミナ面からの不安を示したのだが、悪い方にすべて当たった。  100mはスピードの時代に対応できなかった。200mは準決勝を5位で通過した。泳ぎは、本人の言葉ほど余裕を感じさせなかった。北島の時代は終焉(えん)に向かいつつある。決勝での奇跡的なカムバックを願いつつ、だれもがそう感じていた。  2002年アジア大会の200mで世界新を出して世界のトップに躍り出て以来10年。100mを含めて世界記録を5度更新し、04年アテネ、08年北京の両五輪で平泳ぎ2冠を達成。ハンセン(米国)、ダーレオーエン(ノルウェー)のライバルをその都度退けた。中国語で平泳ぎを「蛙泳」と呼ぶのに由来した、世界の「蛙王」の称号を得た。五輪史上、男子競泳の個人種目初の3連覇への最後のチャレンジ。  ▽自らの泳ぎ貫く  スタートから飛び出した。金は難しい。本人はそう自覚していたはずだ。しかし、力をためて後半勝負、そんな〝賢い〟泳ぎはしない。終盤、スタミナが持たない危険は覚悟の上だ。50mは28秒64、100mの折り返しも1分1秒40でいずれも首位。1分1秒13だった4年前の自分に近いスピード。大きなストロークと強いキックがかみ合い滑るように進んだ。  だが、4年前なら大きく離したであろう他の選手がぴたり食いつく。特に前年の世界選手権優勝、ジュルタ(ハンガリー)に前半終了後かわされた。100から150までの50mに、上位5人の中で唯一人33秒以上を要した。200m種目はこの中間部を、力を残して楽に入らなければラストスパートがきかない。北島はラストの50mを、8人中7番の33秒88も必要とした。  もがいた。そして隣の1コースを泳ぐ立石諒にもかわされた。偉業への挑戦は4位。メダルなしで終わった。冷静に分析すれば、世界チャンピオンのジュルタが、100mで北島より上の4位に入っている。持久力に優れた23歳がスピードでもかつての王者を上回っていた。勝機はか細かった。  負けた。だが、自分の平泳ぎを貫いた満足感は強い。そして、自分を追ってきた立石がメダルに輝いた。国際舞台で力を発揮できず、チキンハートと陰口をたたかれていた後輩が、自らのリードでついに表彰台に立つ。  メダリストは全員23歳。9月に30になる北島から見れば世代交代を実感するレースだった。水泳ニッポンが五輪で奪った金メダル20個中、男女平泳ぎが11。日本の伝統をバトンタッチできた。「諒が(メダルを)取ってくれた。悔いはない」。仕事は、やり終えた。 (共同通信編集委員室編集長 小沢剛)