五輪では世界の頂点を競い合う選手たちのすばらしいパフォーマンスが感動を呼んできました。ところが一方で、予想しなかった事態が発生し、大きな注目を浴びることもありました。五輪で起きたハプニングにはこんなものもありました。

▽独泳に大きな拍手

2000年シドニー五輪の競泳男子100㍍自由形予選。最初のレースとなった1組を泳いだエリク・ムサンバニに、大きな声援が湧き上がりました。この組には3人がエントリーしていたのですが、1回目のスタートでふらついた2人が水中に落ちて失格となり、アフリカ中央部に位置する赤道ギニアから来た褐色のスイマーの独り舞台となっていました。

たった1人のレースで、ムサンバニは必死に腕を回しました。もともとはバスケットボールの選手で、水泳を始めてわずか8カ月。地元ホテルの狭いプールで練習してきたというという泳ぎは、とても五輪選手と呼べるものではありませんでした。序盤こそ快調なリズムでしたが、最後は疲労困憊(こんぱい)。もがくようにして何とか泳ぎ切った姿に、大きな拍手が送られました。

1分52秒72のタイムはこの種目の最下位で、倍の距離を泳ぐ200㍍の優勝タイムよりも遅いものでした。ところが「五輪は参加することに意義がある」を地で行ったムサンバニには「ウナギのエリク」のニックネームが付けられ、人気者となりました。

翌年には福岡で開かれた世界選手権にも参加しました。マスコミに取り上げられて有名になったことで海外での練習機会にも恵まれ、記録は飛躍的に向上していました。50㍍自由形に出場して、91人中88番目の31秒88。シドニー五輪100㍍の記録を半分にしたタイムは56秒台で、25秒ほども上回りました。

▽意識もうろう、でも完走

女子にとってはあまりに過酷とされていたマラソンが初めて採用されたのは、1984年のロサンゼルス五輪でした。真夏の強烈な日差しが照りつける7月のレースに選手は苦しめられました。

初代女王となった地元米国のジョーン・ベノイトのゴールから20分ほどが経過したころ、約9万人収容のスタンドからざわめきが起き始めました。競技場に入ってきたスイス代表のガブリエラ・アンデルセンの異変に気付いたからです。脱水症状を起こしたことで、右へ左へとふらつきながらの走りでした。途中、心配した役員がそばに駆け寄りました。しかし、アンデルセンは「触らないで」とばかりに役員から離れようとしました。大昔の話になりますが、1908年のロンドン五輪で、ふらふらの状態で競技場に戻ってきたトップの選手に役員が手を貸し、選手が失格となったことがありました。アンデルセンはそのことを知っていたのでしょう。

足取りは次第にゆっくりとなり、ラスト100㍍は歩いている状態になりました。観客の声援に応えようとして手を上げようとするのですが、思うように上がりません。それでもゴールを目指して前に進むことをやめませんでした。最後はよろめくように37位でゴールし、最後まで諦めない精神力にスタンドからは大きな拍手が送られました。医師の手当てを受けたアンデルセンの状態はすぐに回復し、2時間後には選手村に戻りました。

インド選手団とは明らかに違う服装で入場行進した「謎の女性」(共同)
インド選手団とは明らかに違う服装で入場行進した「謎の女性」(共同)

 ▽堂々の入場行進

 2012年のロンドン五輪では、開会式の入場行進でハプニングがありました。頭に黄色のターバンを巻いた男性旗手が先頭のインド選手団の中に、赤いシャツを着た若い女性がいました。サリーに身を包んだ女子選手とは明らかに格好が違います。しかし、手を振りながら、笑顔で旗手の横を歩いているのです。余りに堂々とした態度に、瞬時には騒ぎにはなりませんでした。

 ところが、行進の様子をテレビで見たインド国内の人たちの間からは「謎の女性はだれ?」との声が上がり、インド選手団も安全上の問題があるとして、ロンドン五輪の組織委員会に抗議しました。「世界の注目が集まる中で恥をかかされた」と、事情説明と謝罪を求める事態となりました。

 謎の女性は後日、大会アトラクションに参加した25歳のインド人エキストラと判明しました。この女性は「開会式の場は混乱状態で、何が何だか分からなくなった。でも、きちんとセキュリティーチェックは受けている」と危険人物ではないと釈明しましたが、母国選手団の入場行進に加わることができたことには「とても幸せだった」と感想を語ったそうです。
   (共同通信オリンピック・パラリンピック室 江波和徳)