五輪という大舞台で活躍した選手が、興奮が続く中で語った飾りのない言葉は、意外性とともに大きな感動を呼んできました。日本選手がメダル獲得後に口にした名言を、その背景とともに振り返ってみました。

▽今まで生きてきた中で、一番幸せ

1992年のバルセロナ五輪では、14歳の少女が大きくクローズアップされました。競泳女子200㍍平泳ぎで金メダルを手にした静岡・沼津五中の岩崎恭子です。レース直後のテレビインタビューで「今どんな気持ちですか?」と聞かれ「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と喜びを表現しました。のちに思いを素直に表しただけだったと説明しましたが、五輪史上最年少の金メダリストとなった中学2年生の言葉とは思えない新鮮さがありました。

実のところ岩崎の名前は、大会前のメダル候補に挙がっていませんでした。この年4月の五輪選考会では2位で、世界ランキングもトップ10には入っていませんでした。ところが、五輪本番で大化けしたのです。予選で、当時の世界記録保持者だったアニタ・ノール(米国)にわずか0秒01差という日本新記録で2位につけました。焦ったノールが「イワサキってだれ?」というほどで、決勝でも終盤の追い込みで優勝候補を逆転し、わずか数か月の急成長で五輪の頂点に上り詰めました。「一番幸せ」はあまりの急展開についていけなかった本人の素直な言葉でした。

国民的ヒロインとなった岩崎の生活は大きく変わりました。マスコミに大きく取り上げられ、自宅には見知らぬ人からの電話も相次ぎました。練習に集中できない時期が続いて、さらなる記録を期待する重圧から大スランプも経験しました。それでも逆境を克服して、次のアトランタ五輪でも代表入りしました。結果は200㍍の10位が最高でしたが、後に「人として、選手として成長した実感があるアトランタこそがわたしの誇り」と話しています。

アトランタ五輪の女子マラソン、3位でゴールする有森裕子(共同)
アトランタ五輪の女子マラソン、3位でゴールする有森裕子(共同)

 ▽自分で自分をほめてあげたい

 1996年アトランタ五輪は有森裕子にとって2度目の五輪マラソンへの挑戦でした。4年前のバルセロナ五輪では日本代表に有森を選ぶか、松野明美を選ぶかで激論が交わされましたが、代表の座を射止めた有森が終盤まで優勝争いを演じて見事に銀メダルを獲得しました。しかし、その後の4年間はかかとの手術を2度も経験、マラソンも3年間走れないなど、大きな重圧との戦いの日々でした。

 栄光と挫折を味わった有森は標高2600㍍もある米コロラド州での過酷な高地合宿で自分を追い込み、本番に備えました。雨上がりで滑りやすくなったアスファルトを踏みしめながらのレースは、初出場のファツマ・ロバ(エチオピア)が中盤から独走して金メダルを獲得しました。有森は粘り強い走りを見せましたが、前回優勝者のワレンティナ・エゴロワ(ロシア)に終盤で引き離され銅メダルでした。

 メダルの色では前回よりも劣る結果でしたが、有森の口から出た言葉は、重圧をはね返して再び表彰台にたどり着いた自身を評した「色は一つ曇ったけど、自分が一番輝いていた。初めて自分で自分をほめたいと思います」でした。

 頂点を極めることのできなかったアスリートが、自分をほめるといった風潮はそれまであまりありませんでした。それだけに大きな話題となり、この年の流行語大賞にも選ばれました。

 ▽ちょー気持ちいい 何もいえねえ

 2004年アテネ五輪の競泳男子100㍍平泳ぎで北島康介はライバルのブレンダン・ハンセン(米国)を抑え、初めて五輪の頂点に立ちました。右のこぶしを水面にたたきつけて雄たけびを上げ、喜びを表現しました。その後の第一声は、金メダルを勝ち取ったうれしさと重圧から解放された安堵感が交錯し、本当は泣きたかったのを我慢しながら話した「気持ちいい。ちょー気持ちいい」でした。

 高校3年生で臨んだ前回のシドニー五輪は表彰台にあと一歩の4位でした。「五輪の借りは五輪で返す」という目標は明確になりました。北島は2003年の世界選手権で100㍍、200㍍の両種目に世界新記録を出して優勝するなど、金メダルを狙えるエースに成長しました。

 アテネ五輪の最初の種目が100㍍でした。準決勝ではハンセンのタイムを下回っていましたが、決勝は序盤から前に出る作戦でハンセンの焦りを誘い、終盤のリードを保ったままゴールしました。五輪王者の称号を手に入れた北島は続く200㍍でも圧勝しました。

 4年後の北京五輪は追われる立場となりました。それでも北島の強さは光っていました。100㍍では後半、徐々に他の選手を引き離して世界新記録で優勝。200㍍も世界記録を樹立して2大会連続の2冠という偉業を達成しました。100㍍終了後には言葉に詰まりながら「何もいえねえ」と漏らしました。支えてくれた人たちへの感謝をまず伝えたかったのだそうですが、感極まってしまったそうです。

 北島は2012年のロンドン五輪にも出場しましたが、個人種目ではメダルに届きませんでした。それでも、競技最終日に4人が別々の泳法でリレーする400㍍メドレーリレーで銀メダルを手にしました。バタフライを泳いだ松田丈志が他のメンバーと「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と誓い合っていたことが話題となりました。

 この4月、33歳で5大会連続の五輪出場を目指した北島の挑戦は夢と破れました。記者会見で「ここまで長く真剣勝負させてもらい、幸せな選手生活だった。本当に悔いはない」と話し、競技生活に幕を下ろしました。
                               (共同通信オリンピック・パラリンピック室 江波和徳)