禁止薬物の力を借りて競技力を高めるドーピング違反のニュースが、いまだに続いています。陸上界でのロシアやアフリカ勢の組織的ともいえる薬物スキャンダルは根が深そうですし、今年になって発覚した女子テニスのスター選手、マリア・シャラポワ(ロシア)の違反もショッキングでした。後を絶たないドーピングの問題は、五輪にも暗い影を投げかけています。フェアプレーの根幹を揺るがし、スポーツ全体への信頼感を損なうからです。

▽いたちごっこ

五輪の舞台でもこれまでドーピングによる数々の不祥事が明るみに出ています。最も衝撃的だったのは1988年ソウル五輪でのベン・ジョンソン事件でしょう。

大会最高の花形種目である陸上男子100㍍決勝で、カナダのジョンソンは爆発的な走りでゴールを駆け抜けました。記録は9秒79、驚異的な世界新記録です。ところがレース後の記者会見にジョンソンはなかなか現れませんでした。会見場では「ジョンソンはドーピング検査のための尿採取に手間取っているのではないか?」という軽口が聞こえていました。世界の報道陣はこの時、まさか本当にドーピング違反でジョンソンの金メダル、世界記録が取り消されるとは夢にも思っていませんでした。

筋肉増強剤に陽性反応を示したジョンソンは失格となり、五輪から追放されました。得意の絶頂から失意のどん底に。ジョンソンはその後、トレーナーや医師を含めたチームぐるみの不正であったと認めています。薬物に頼り始めた当初は検査もすり抜けていたようですが、ソウル五輪で使用された当時の最新鋭検査機器がその痕跡を突き止めたのです。

1968年のグルノーブル冬季、メキシコ夏季大会から五輪に導入されたドーピング検査は、摘発と検査すり抜けの「いたちごっこ」が続いてきました。薬物利用法はどんどん巧妙になり、新薬も次々と登場します。規制は常に後手に回ります。新薬の検査法開発にも時間がかかります。シャラポアが陽性反応を示した「メルドニウム」という物質も最近、禁止リストに追加されたばかりでした。それまでは対象になっていなかったドーピング物質がここにきて摘発されたわけです。

▽名誉、お金の誘惑

ドーピングを一掃できない背景には、五輪を頂点としたスポーツ界の構造があります。

かつてスポーツが国威発揚の手段とされた時代には、旧東側諸国の多くの強豪選手がドーピングに手を染めていた、と疑われています。ソ連や東ドイツなどが五輪のメダル争いで上位を占めていた時代です。特に東ドイツ陸上女子の記録は驚異的でした。1985年に同国選手が記録した女子400㍍の世界記録47秒60は、その後30年間、誰にも破られていません。日本記録の51秒75とはいまでも4秒以上の大差。47秒半ばで400㍍を走れば、例えば日本学生選手権の男子の部に出ても入賞します。当時の東ドイツには国ぐるみのドーピング疑惑があり、多くの証言も出ています。今となっては検証できないものについては世界記録としてそのまま残っています。

東西冷戦時代が終わり、五輪の商業化に伴って選手がプロ化した現在は、好成績がお金を生みます。スポーツの名誉が経済的な利益に直結するようになり、いままで以上にドーピングの誘惑に抗えない選手がいるようです。選手を支えるコーチやトレーナーらスタッフも同様です。トップ選手になれば大会で稼ぐ賞金に加え、スポンサー契約などにより大金を得ることができます。選手が潤えば、スタッフを含めたチーム全体が豊かになります。科学者の力も借りて、チームぐるみで禁止薬物に手を染めることになります。

もしドーピングが規制なしに許されていればどうなるでしょう。勝つために手段を選ばないことでフェアプレーが崩壊し、ファンはスポーツにそっぽを向いてしまうことでしょう。五輪は薬物漬けのサイボーグのような選手の競技会になり、一気にすたれてしまうでしょう。

ドーピングに頼る選手たちには公正さを無視する精神面の荒廃だけでなく、重大な肉体的後遺症も生じるでしょう。ドーピングはスポーツのみならず、健全な人間全体に対する冒涜(ぼうとく)ともいえます。だから根絶しなければならないのです。スポーツ界の頂点にある五輪ではどの競技会よりも厳しいドーピング検査を実施しています。スポーツを守るため、五輪の価値観を維持するために不正と闘っているのです。
(共同通信オリンピック・パラリンピック室 荻田則夫)

ソウル五輪の陸上100m決勝で9秒79の驚異的な記録を出したベン・ジョンソン(右端)。ドーピング違反が発覚し、金メダルはく奪とともに記録も抹消された(ロイター=共同)
ソウル五輪の陸上100m決勝で9秒79の驚異的な記録を出したベン・ジョンソン(右端)。ドーピング違反が発覚し、金メダルはく奪とともに記録も抹消された(ロイター=共同)