1980年モスクワ五輪の「幻の日本代表」の中には、そこで競技人生に区切りを付けた人もいる。フェンシング男子の千田健一さん(63)も、その一人。教師として、指導者として歩んだ第二の人生。悔しさをばねに、新たなオリンピアンを育てた。

 (中川耕平)

 <モスクワ五輪のボイコットが伝えられたのは、本番を見据えた茨城県高萩市での強化合宿の最中だった>

 代表を決める三つの選考会の総合ポイントでは私が一番。出場は間違いなかったが、ずっと不安な気持ちを抱えていた。ボイコットするという連絡を受け、(日本代表は)すぐに解散に。当時は宇都宮市の高校で商業を教えていましたが、いざ帰っ...    
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