東京五輪に向けて日本代表の選考方法が見直されたマラソン。これまで選考過程が分かりづらく、何度も社会現象になるような物議を醸した歴史がある。

 事実上の一発勝負が問題になったのは1988年ソウル五輪。日本陸連が強化指定選手に福岡国際への出場を求め、1、2位の中山竹通、新宅雅也(現・永灯至、ひさとし)が代表を確実にした。しかし実績のあった瀬古利彦が左足を痛めて欠場。瀬古はびわ湖毎日を制して五輪切符を手にしたが、福岡の3位に劣るタイムで議論になった。

 92年バルセロナ五輪では世界選手権2位の山下佐知子、大阪国際で当時の日本最高を出した小鴨由水が当確。3番目を世界選手権4位の有森裕子と大阪国際2...    
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