本来ならば、楽しみにしていた欧州選手権が行われるはずだった。同じ大陸選手権でも荒々しさが前面に押し出される南米選手権と違って、欧州選手権はクリーンな中に各国がそれぞれの特徴を押し出してくる。だから、楽しい。

近年は若くして欧州のクラブに渡る南米出身の選手が多くなった。影響でサッカーの最新トレンドは主に欧州から生まれている。4年に一度の欧州選手権は「最新サッカーの見本市」といっていい。常に新しい発見がある大会が新型コロナウイルス感染拡大を受けて1年延期になった。今年の梅雨の季節はかなり退屈なものになりそうだ。

会員制交流サイト(SNS)を見ていると、「何年のこの日はこんな試合があった」という表示にしばしば気づく。日本関係では、ワールドカップ(W杯)に関連したものが多い。

1988年フランス大会で初出場して以来、2年前のロシア大会まで日本代表は6度連続でW杯本大会に出場している。うち3大会で決勝トーナメント進出を果たしている。5割の確率でグループリーグ突破。サッカーでは遅れて人気競技となった国ということを踏まえると、かなり素晴らしい成績ではないかと思う。そんな日本が今後さらに飛躍するためには何が必要なのか。それを考えていかなければならない。

3度のベスト16敗退。それは数字上では全てが惜敗だ。2002年日韓大会はトルコに0―1。10年南アフリカ大会はパラグアイに0―0からのPK戦(3―5)負け。そして、前回の18年ロシア大会ではベルギーに終了間際に決勝点を奪われて2―3の敗戦を喫した。

やり方次第で勝てたのではないか―。試合を見直す度に、そんな思いが湧いてくる。サッカーでは最少得点差であっても、想像以上に実力差を感じさせることがある。だが、日本に関してはそこまでの差が見られない。でも、現実は勝てなかった。理由はシンプル。相手が日本より間違いなく強かったのだ。

W杯において、強豪国がそうではない国に苦戦した試合は数えきれないほどあった。ただ、結果を見ると1点差であってもほぼ強豪国が勝っている。本当に強いチームというのは、ギリギリの接戦でも最終的に勝ち切ってしまうのだ。ドイツなどはその典型だろう。

両方ともに良いチームではあるが、一方は「強い」と称賛され、もう一方は「良いサッカーをした」という評価にとどまる。その違いを分けるのは何か。経験ではないか。筆者はそう考える。

格好の国がある。W杯決勝に3度進出したにもかかわらず、全て敗れ去ったオランダだ。1974年西ドイツ(現ドイツ)大会、78年アルゼンチン大会、そして2010年南アフリカ大会…。優勝を飾ってもおかしくないメンバーがそろっていた。

それでも、オランダが勝てないのは、決勝を制した経験がないからだ。一度でも優勝していたら、再び同じステージまでたどり着くのは難しくなくなる。そこが長らくライバル関係と目されながらも「サッカーとは最後にドイツが勝っているスポーツ」といわれる隣国との大きな違いだ。

日本でも同じ例はある。シルバーコレクターと言い続けられていたJ1川崎だ。しかし、17年にJ1初制覇を飾ると、翌年はJ1を連覇。そして、19年にはYBCルヴァン杯と3年連続でタイトルを取っている。川崎は一度優勝を経験したことでタイトルの取り方が分かったのだ。不思議なのことに、メンバーが変わっても変わらない。チームの中に経験として受け継がれるのだ。

壁を乗り越えた経験の大切さ。それを考えると返す返すも残念だったのは、W杯南アフリカ大会のPK戦負けだ。首都プレトリアで繰り広げられた互角の勝負を競り勝つことができたら、「ベスト16の壁」を超えることは心情的にそれほど大変なものと思わなかったかもしれない。そうすればロシア大会のベルギー戦で2点をリードした後の試合の運び方が違った可能性は十分にある。

PK戦であっても実力差は出る。テレビで解説する元選手で「PK戦は運だ」と断言する人がいるが、決してそういうことはない。パラグアイとのPK戦でも、4番目で出てきたネルソン・バルデスと5番目のオスカル・カルドソは、GK川島永嗣の動きを見切っていた。役者が一枚上だったのだ。仮に勝利を収めることができていたなら、日本はベスト4を目標にできるチームに変わっていたかもしれない。本当にもったいない。

物事は一足飛びに向上することはない。むしろ退化することだってある。その現実を直視して、緻密に地道に進むしかない。

「勝負の神様は細部に宿る」。

南アフリカ大会のチームを率いた岡田武史監督は口にした言葉だ。それは真理をついている。

梅雨の時期になると、W杯の日本代表の思い出がよみがえる。ほとんどは後悔という形だが…。2年後のカタール大会は、冬開催だから違う形で記憶されるのだろうか。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。