世界ボクシング協会(WBA)の元ライトフライ級チャンピオン、具志堅用高氏が会長を務める白井・具志堅スポーツジムが、7月31日をもって閉鎖されることになった。

1995年、世界タイトル13連続防衛の日本記録を持つ具志堅氏が日本人初の世界王者、白井義男氏と共同で設立。偉大な二人の名王者の名前が付いたジムがなくなるのは一抹の寂しさを感じる。これも時の流れだろうか。

具志堅氏は6月26日に65歳の誕生日を迎える。

閉鎖の理由をホームページで「気力、体力ともこれまでのように情熱を持って指導にあたるのが難しい年齢になった。ここが潮時と決断した」とコメントした。

試合会場での具志堅氏は、タレントとしてテレビで見せる愛嬌のある姿とは別人だ。

愛弟子の採点に不満があると、大声で抗議することもある。真剣な表情にボクシングへの情熱が感じられた。

ジムが生んだ最高傑作は元世界ボクシング評議会(WBC)世界フライ級王者の比嘉大吾だろう。

沖縄県浦添市出身の比嘉は、同郷の先輩である具志堅氏を頼って2014年に入門。同年6月にKO勝ちでデビューすると、サウスポーからの強打で頭角を現した。

世界初挑戦は17年5月、WBC王者フアン・エルナンデス(メキシコ)を6回TKOで破り、念願のタイトルを獲得。師弟はリング上で抱き合った。

その後、2連続KO防衛に成功。15試合連続KO勝ちの日本タイ記録を達成した。

しかし、ここから暗転する。18年4月の3度目の防衛戦で計量に失敗、規定によりタイトルをはく奪され、試合は9回TKO負け。

この失態にゴング前から具志堅氏は痛々しいほど意気消沈していた。ジムも日本ボクシングコミッション(JBC)から戒告処分を受けた。

具志堅氏は計り知れないほどの精神的ショックに見舞われたのではないだろうか。

比嘉は今年2月に復帰したが、結局はジムを離れることになった。

この2年間、具志堅氏には厳しい試練となった。しかし、ジム閉鎖を決めても気持ちは衰えていない。「今後、私にできることがあれば、別の形でボクシング界に携わらせていただければと思っています」と語っている。

世界の殿堂入りも果たした国民的ヒーローである。ボクシング界の将来のためにも、貴重なサポート役を期待している。(津江章二)