待ち合わせ場所にさわやかな笑顔で現れた。

バレーボールのVリーグ男子1部、ジェイテクトでプレーしていた中根聡太。2月に初のリーグ優勝に導いたセッターは、入団からわずか2季、24歳の若さにして3月末でユニホームを脱ぎ、4月から母校の愛知・星城高で教員となった。

初めて話したのは2017年11月、全日本大学選手権の記者会見だったと記憶している。

彼のことは知っていた。高校時代は今や押しも押されもせぬ日本の中心選手となった石川祐希(パドバ)らとともに全国高校総体、全日本高校選手権、国体を2年連続で制する偉業を達成。大学でも下級生の頃から主力として試合に出ていた。

記者会見に、筑波大4年だった中根は主将として参加していた。

筑波大バレー部OBである私は、会見終了後に激励しようと思って話しかけた。すると「柄谷さんですよね? 先生からお話をお伺いしています」と言われて驚いた。さらに「わざわざありがとうございます」とお礼まで。何て謙虚でしっかりした青年なんだろう。そんな第一印象だった。

その全日本大学選手権準決勝で、中根は高校時代のチームメートでもある石川を擁して4連覇を狙った中大をフルセットの末に撃破した。

優勝こそならなかったものの、鮮烈な印象を残した。卒業後はジェイテクトへ。いい選手になっていくんだろうなと思っていた。

「中根が今季限りで辞めて、母校で先生になる」。私が耳にしたのは2019年12月だった。驚いた。まだ若い。それに何より、ジェイテクトは今季初優勝を狙えるほど充実していて、中根も主力としてトスを上げていた。

身長173センチと小柄で、最高到達点も315センチと高くない。オーバーパスの力が突出しているわけでもない。

「運動能力が高いと思ったことはない」と自分でも言う。それでも勝負強いセッターだった。

「勝てる選手」というのはいくつかのタイプがある。自らに飛び抜けた力があって、周囲を引っ張っていくタイプ。自分の力はそこまでではなくても、周囲の選手を生かし、チームを動かすことで勝ちに導いていくタイプ。中根の場合は、後者だった。

中根が大学時代に指導を受けた筑波大の秋山央監督はこう言っていた。「パス力だけなら1学年下のセッターがあるかもしれないけど、中根は人を動かせるからね」

ジェイテクトがVリーグを初めて制した2月29日。私は高崎アリーナで取材していた。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で無観客で行われた試合は、フルセットの激闘だった。ジェイテクトが勝利し、記者会見場に現れた中根を見て「引退を決めているシーズンで初優勝するなんて、しかも主力としてトスを上げたなんて、なんてかっこいいんだ」と思った。

まだ3月の全日本選手権があるから、そこで最後に話せるかな。記者会見場を出るときに私を見つけて会釈してきた彼を見て、そう思った。

しかし、新型コロナウイルスの影響で大会は中止。3月23日にチームが退団を発表した。

尋ねると、昨年5月に引退を決断し、最後だと決めて臨んだシーズンだったという。

引退しなければ、まだまだキャリアを重ねられたはずだ。連覇だって夢じゃなかっただろう。現役への未練、決断に後悔はないのだろうか。そう問うと、彼はきっぱりと言った。

「後悔は全くないですね。誰が何と言おうと、辞めると決めていました。腹をくくって臨んだシーズンでしたから」

自分の身長と運動能力では、Vリーグでプレーすることは難しい。そう思った中学時代から体育の教員を目指していた。

筑波大に進学したのも、教職がとれるという理由があった。だが、たゆまぬ努力で一度は難しいと思ったVリーグでプレーするという夢をかなえ、しかも優勝まで成し遂げた。そして、今度は教員となり、二つ目の夢まで実現することになる。

中根の退団、指導者転身が発表されると、SNS上では彼のことをよく知る元チームメートらから「子どもができたら聡太に預けます!」という投稿が相次いだ。これも、彼の人柄をよく表している。

指導者としては1年生。そして、クラス担任も務めることになる。

「もう、不安が大きすぎて…」と苦笑するが、その瞳は希望にあふれていた。指導者として母校を日本一に導くこと、石川を超えるような選手を育てること…。夢は多い。

別れ際、彼はこう言った。「ここからが僕の夢ですから」。どんな指導者になるのだろう。新たな門出にエールを送りたい。

柄谷 雅紀(からや・まさき)プロフィル

全国紙の新潟、横浜、東京社会部で事件や事故、裁判を5年半取材した後、2013年に共同通信に入社。翌年から大阪運動部でプロ野球のオリックスやJリーグのG大阪を担当した。16年から東京運動部でバレーボールやスキーを取材。筑波大時代は男子バレーボール部に所属した。大阪府出身。