昭和のボクシング界に強烈な個性を残した二人の「拳雄」が今年の夏、相次いで亡くなった。

日本、東洋のフライ級王座を獲得、指導者として輪島功一ら3人の世界王者を育てた三迫仁志氏。元東洋スーパーフェザー級王者で、数々の名勝負を提供した勝又行雄氏。

ともに日本ボクシング界の黄金時代に活躍、ファンを楽しませた。

三迫氏は愛媛県新居浜市生まれ。明大在学中の1955年、日本、東洋のフライ級王者となり、トップボクサーになった。

白井義男が失った世界フライ級の王座奪還へ周囲の期待は高まった。しかし57年8月、新鋭の矢尾板貞雄に痛恨の黒星を喫した。世界挑戦への可能性が遠のき、9月に東洋王座を失うと、間もなく引退に踏み切った。

60年に三迫ジムを創設。自分が果たせなかった世界王者の育成に心血を注いだ。

東京五輪のバンタム級金メダリスト、桜井孝雄に夢を託したが、世界挑戦の舞台では小差の判定負け。桜井がポイントでリードしていると判断、終盤に逃げ切る指示を出したことを批判されたが、「間違いなく桜井が勝っていた」と、終生自分の信念を貫き通した。

輪島に加え、三原正、友利正と計3人の世界王者を輩出。名伯楽の一人でもあった。享年85。

勝又氏は熊本県菊池郡出身。高校時代は陸上競技の選手で、趣味が裁縫。試合のたびに自分のトランクスを縫っていたという。

56年にプロデビュー。打ち合いを好み、たたきつけるような左右フックでトップへの道を歩んだ。

61年、東洋スーパーフェザー級王座に挑戦、タイ人を5回KOで下した。ガードの甘さが指摘されていたが、闘志でカバー。常にスリリングな打撃戦を展開した。

勝又氏の名前を不朽のものとしたのが、63年3月、当時人気絶頂だった日本フェザー級チャンピオン高山一夫とのノンタイトル10回戦である。

高山の強打を浴び、4回に2度のダウンを喫し、敗色濃厚と見られた。

しかし、6回に入ると猛反撃。ロープ際で放った一発の右フックで大逆転のKO勝ちを収めた。

スリル満点のドラマにファンは総立ちで酔いしれた。

熱心なファンとして知られるタレントのビートたけしさんは「あの試合こそ日本ボクシング史上、最高の名勝負」と絶賛している。

64年に引退、勝又ジムを創設し、後輩の指導に当たった。

享年84。リングに全力を注いだ根性はいつまでも語り継がれるだろう。(津江章二)