勇気を持ってチャレンジした者にだけ、与えられる褒美というものがある。7月27日に6万5千人を集めた超満員の本拠・日産スタジアムで、J1横浜Mは目には見えないもののとても貴重な財産を手にしたのではないだろうか。

昨シーズン、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成した、イングランドの覇者を迎えて行われたプレシーズンマッチ。マンチェスター・シティは、8月10日に開幕するリーグの1週間前に行われるコミュニティーシールド(対リバプール)を控えた最終調整の相手として横浜Mを選んできた。

両チームのスタイルには共通するものがある。前線から激しくプレッシャーをかけ、奪ったボールを丁寧につなぐポゼッションサッカーだ。最終ラインは高く保ち、パス回しにはペナルティーエリアを飛び出したGKも積極的に関わる。最先端の戦術といえる。

ただ、試合前には一つ疑問があった。横浜Mが世界のトップを相手に、リーグ戦でやっているようなスタイルをそのままぶつけてくるのか、ということだった。力関係を考えた上で守備を固めることは十分にあり得るし、それも仕方ないと考えていた。

キックオフ―。目に映るのは、勇気を持って強豪に挑む横浜Mの選手たちだった。その姿から、アンジェ・ポステコグルー監督の哲学がひしと感じられた。結果、それが好勝負を生んだ。最大の収穫は、マンチェスター・シティに最後まで手を抜かせなかったことだろう。11対11のシュート数が示すように、互角のチャンスを作り出したことが大きかった。

先制点の起点となったのは、似たようなサッカーを志向しながらも横浜Mになくてマンチェスター・シティにはある「武器」だった。一発で相手の急所を突くロングパスだ。前半18分、GKブラボのロングパスを右サイドのベルナルド・シウバがコントロール。これを受けたのが、駆け上がってきたデブルイネだった。そのまま、中央に入り込むと、強烈な左足シュートをたたき込んだ。

横浜MのGK朴一圭もデブルイネが切り返してDF畠中槙之輔をかわすまでは予測していた。だが、シュートは予想をはるかに上回る物だった。

「めちゃくちゃ速かった」

「むしろあれを止められるGKがいるのか逆に聞きたい」

諦め顔で朴が振り返る。世界トップ選手の正確で破壊的なキックは、想像のはるかに上回るものだったみたいだ。

ミスをすれば一気にピンチに陥るという恐怖心を抱きながらも、横浜Mは果敢に自らのスタイルを貫いた。最初の20分は「らしくない」ミスが目立ち、苦しんだ。ただ、それを続けたことが奏功する。時間の経過とともに、速いテンポで進む試合のリズムに順応できたのだ。

前半23分、素晴らしい連続攻撃から横浜Mが同点に追いつく。三好康児のスルーパスから仲川輝人、マルコスジュニオールが連続シュート。2本ともにGKブラボの見事な反応でストップされたが、最後はこぼれ球を遠藤渓太が押し込んだ。この同点ゴールがマンチェスター・シティの選手たちの危機感をあおり、結果としてゲーム自体の質を高めたといえるだろう。

チャンスの数としては大きな違いはなかった。それでも最後は決定力の差が出て、横浜Mは1―3の敗戦を喫した。しかし、選手の質や年俸を世界規模で比較したら、相手がシーズン前とはいえ想像以上の健闘だった。なによりも“ペップ"グアルディオラが率いるチームは、真面目で手を抜かなかった。先日のバルセロナ対チェルシーとはまったく別物の、内容の濃い試合だった。

「非常にいい試合ができた。とても厳しい試合だった。とてもタフだったが、どちらもいいパフォーマンスを発揮した」

世界の最前線を走る名将は、自らのチームだけでなく、横浜Mのことも同等にたたえた。それは決してお世辞ではないだろう。言動を見ていて、サッカーに対しての誠実さがにじみ出るペップが、あえて対戦相手におべっかを使うとも思えない。

横浜Mの選手たちは、金では買えない貴重な経験を手に入れた。選手個々が、世界のトップに接して何を感じたのか。今後、その経験がどう生かされるかで経験の価値が変わる。

「普段は負けて得るものはあまりないと思っているけど、世界のトップクラスの選手とやって負けても学ぶことがたくさんあった」

得点を決めた遠藤は、ボールを置く位置や間合いなど、普段は意識しない細部について改めて考えるきっかけを与えられたという。

一人だけではない。口を開く選手がそれぞれに、いままで見えなかったものに気づかされたと語っていた。その意味で横浜Mは最高のチームと戦った。冷静に分析すると、自チームに足りないものは、すべてマンテスター・シティにあったといっていいからだ。

「勇気をもって戦ったあの一戦が、ターニングポイントだった」

今年の12月、横浜Mがタイトルを取っていたら、そういう声が聞こえるかもしれない。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。