目的地までの正しい地図を頭にたたき込んできた。その記憶に従って歩き始めたが、なかなか目標物が見えてこない。そうなったとき、人は次のような選択を迫られる。最初に示された地図を信じ続けていけるのか。それとも目の前に開けた新たな脇道に方向転換していくのか―。

人間という生き物は心の揺れやすい生き物だ。まったく隙がなく、考え抜かれた理念があっても、結果が見えなければ迷いが生じる。おそらく世の中には「見たものしか信じない」という人が圧倒的に多いはずだ。その中で理想を求めていくには、想像以上に強いハートが必要なのかもしれない。

J1清水が苦境に陥っている。開幕から6節を終えて、2分け4敗。J1に所属するチームで唯一勝ち試合なしで最下位に沈んでいる。

4月5日にアウェーに乗り込んだ首位・FC東京との一戦。結果は清水が先制しながらも終盤に連続失点を許し、1―2の逆転負けを喫した。スコアだけを見れば、5節終了時点では17位の清水が、首位のFC東京に力負けをしたという構図が目に浮かぶ。しかし、試合を見ると清水が勝っていてもおかしくない内容だった。事実、シュート数ではFC東京の10本に対し清水が13本と上回った。勝敗を決したのは、「迷いがあるチーム」と「勢いのあるチーム」の違いだったように思える。

試合後、清水のヤン・ヨンソン監督は「最近続いている試合と同様、内容のある試合を見せたと思う。ただ何も得られなかった試合だけに、選手としては重く受け止める辛い結果となった」と語った。

「内容はいいが、結果だけがついてこなかった」

この種の言葉は、危うさをはらんでいる。結果が出ないことで、理想を捨てて目の前にある“脇道にそれる"恐れがあるからだ。過去にも内容は良いものの結果が出ないことに業を煮やして“脇道にそれ"てしまった結果、最終的にバランスを崩して取り返しがつかなくなったというチームを数多く見てきた。

勝敗を分けるのは、本当にわずかな違いだ。清水はこの試合の前半26分にビックチャンスを迎えた。右サイドのエウシーニョが出した浮き球の縦パスに鄭大世が抜け出し、GKとの1対1の場面を作り出した。しかし、右サイドから対角線に放たれた右足シュートは左ポストを直撃。先制のチャンスを逃した。

シュートを放った地点からゴールポストまでの距離は約15メートル。ゴールポストの幅は12センチ。もちろんGKがニアポスト際のコースを消していたので鄭大世はファーポスト際のスミを狙うのだが、ボールがポストに当たるということは、シュートしたボールが1メートル前に飛ぶなかで約1センチのズレがあったということになる。

高いレベルでのサッカーを見ていると、シュートがよくポストやバーに当たる。これは選手たちが無意識のうちに1メートルに対し1センチの制御を行っていることの証拠だろう。ゴール枠に当たるかゴールになるかの微妙な結果は、運として語ってもいい。そういうレベルの繊細なものになってくる。そしてこの日の鄭大世には運がなかった。

アジア・カップを戦った日本代表にも名を連ねた清水の北川航也には今季、さらなる飛躍が期待された。しかし、開幕戦でゴールして以来、2点目がなかなか生まれなかった。その意味でこの5試合ぶりのゴールを決めた期待のストライカーにとっては意味を持つ試合だった。後半に2分にヘナトアウグストの右斜めから入れた浮き球のクロスに対し、難しい体勢から体をひねって放ったヘディングシュート。ボールは放物線を描いてゴール左に飛び込んだ。

ただ、先制点を奪った後にも北川が試合を“終わらせる"チャンスがあった。それが、後半28分。金子翔太のスルーパスで右サイドを抜け、GKと1対1のビッグチャンスを迎えたものの、右足でニアサイドを狙ったシュートはゴールマウスを捉えられずにサイドネットへ。本人も「決めるところを決めていれば……」と悔やんだが、エースストライカーの座を狙うならは、最低でもゴールの枠を外してはいけないという場面だった。

好機を逃せば、流れは相手に傾く。スポーツでよくあることが現実になった試合だった。清水はその後、後半30分、41分と連続失点をした。勝ち点「3」が見えていた試合だっただけに、「0」で終わったショックはさらに大きくなっただろう。

清水が復活するための鍵は、自分たちが継続しているサッカーを、いかに信じ続けられるかだ。鄭大世は次のように語った。

「まだ立て直せると思うし、早い段階でみんな目を覚ましている。勝ち点も結果もついてきていないが、全然前を向いていい」

どんなチームであっても、結果が出ないと苦しさと不安に支配されていく。そんな時だからこそ、清水は自らの「正しい道」を歩まなければならない。脇道にそれるのではなく、当初からの目的地に向かう。それには忍耐力が必要だ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。