今年も「花粉症の季節」がやってきた。だが、それは同時に新しいシーズンが始まることを意味してもいる。苦痛と楽しみ。相反する気持ちが入り交じった複雑な心境でこの時期を迎えている人も多いのではないか。かくいう筆者も花粉症に悩まされているだけに、シーズン初めは常に苦行と感じながらスタジアムで取材している。

Jリーグのシーズン幕開けを告げる富士ゼロックス・スーパーカップが2月16日に埼玉スタジアムで行われた。対戦カードは昨シーズンのJ1王者・川崎と天皇杯覇者の浦和。リーグ戦とカップ戦のチャンピオンが対戦した。

現在はリーグ開幕の1週間前に、各国で開催されるようになったスーパーカップ。Jリーグが倣ったのはイングランドで1908年から行われていたFAチャリティー・シールドだ。プレミアリーグとFAカップの覇者が顔をそろえる一戦は、2002年からハンバーガーチェーンがスポンサーについたためにコミュニティー・シールドと名称を変えたが、その目的は崇高なものだった。「チャリティー」の名そのものが示す通り、慈善事業の寄付金を集めるのが目的だった。

それから85年も遅れて始まった日本では試合のシステムだけをまねた。しかし、この試合で入場収入の何割かでも慈善事業に寄付するという精神も取り入れていれば、大会の価値はさらに高くなったはずだ。サッカーだけでなくスポーツ界全体のステータスを向上させる。日本のスポーツ界は、慈善事業にも関心が高いという流れを作っていけたのではないだろうか。以前から述べ続けてきたが、今からでも遅くない。チャリティーに関わる色を出していけば、ゼロックス杯はサッカー界の枠を飛び出していける。

他チームが1週間後の開幕に向け最後の調整をやっている時期に、形の上では公式戦となっている試合を戦う。交代枠が5人認められた変則ルールもあって、開幕に向けた調整の一環と捉える監督がいても不思議ではない。

試合結果は川崎が1―0で勝利を収めた。浦和から見れば最少失点での敗戦となったが、シュートは90分を通してわずか1本。勝つ可能性が全く感じられない試合だった。

それでも浦和のオリベイラ監督に落胆した様子はなかった。記者会見で口にしたコメントはこうだった。

「少し厳しいことをいうかもしれないですが、今日は良いゲームをすることができませんでした」

淡々と話し、まったくピリピリした様子はなかった。これがリーグでの試合なら、ぶざまな内容に怒りをにじませているはずだ。ところが、ゼロックス杯では最後にジョークを飛ばして会見場を去って行った。想像以上に出来が悪かったとしても、オリベイラ監督からすれば想定内のことだったのだろう。

シーズン前の浦和のキャンプは、これまでにない異例の練習メニューだったらしい。他チームと対戦したのは、元日本代表の高原直泰が代表兼選手を務める九州リーグの沖縄SVとの変則マッチだけ。本格的な実戦を行わないままでシーズンを迎えたみたいだ。

理由はシーズン前に試合をすることによる体力の消耗を避けるということらしい。浦和の目標は、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)も含む全タイトルだ。実戦をこなさないトレーニングメニュー。それでも浦和ほどの戦力を持ったオリベイラ監督がいえば、「ああ、そうか」とうなずけるものもある。

対照的だったのは川崎だ。右サイドバックのエウシーニョが抜けた穴こそ気掛かりだが、チームの質は相変わらずとても高い。何よりも目を引くのが、迫力にあふれる連動したプレスだ。このチームの前線からの守備は、いわゆる「アリバイ」ではなく「本気取り」だ。サッカー界独特の表現でいう“鬼"プレスを仕掛ける。高い位置でボールをとることができれば、そのまま敵ゴールまで一直線で向かえる。1対1でボールを奪うために戦うバトルは、昨年よりさらに戦闘力を増している。攻守ともにリーグ随一の存在だろう。

浦和が重視しなかったスーパーカップ。それを川崎が本気で取りに来たのは、これまでの歴史を拭い去るためだという。YBCルヴァン・カップを4度、天皇杯でも1度と計5度進出したカップファイナルで全て敗れている。さらに昨年のゼロックス杯も敗戦。それだけに鬼木達監督は「まず一発勝負に勝つために」と、この試合に照準を合わせてきた。勝ち癖をつけるためだ。

その川崎には驚くべき新戦力がいた。決勝点を挙げたレアンドロダミアンだ。リオ五輪の得点王は、もう少し「オレ様」キャラなのかと思ったが、守備でもびっくりするほどボールを追う。そして、その献身性に一番驚いたのはほかならぬ鬼木監督だったようだ。「自分たちも見たことがないようなと言えば変ですけど」という表現で、練習とは違う姿を見せたレアンドロダミアンを説明していた。

この季節、見たいチームも選手も多い。シーズンが開幕すれば、驚きはさらに増えるはずだ。Jリーグを、今年も楽しもうと思う。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。