大阪・東大阪市の花園ラグビー場で行われた年末年始恒例の全国高校ラグビー大会。第98回大会は1月7日、大阪桐蔭(大阪第1)の初優勝で幕を閉じた。

全国の強豪校が顔をそろえる大会で強い印象を残したのが、初出場の桐生第一(群馬)だった。

チームを率いるのは、37歳の霜村誠一監督。トップリーグの強豪パナソニック(旧三洋電機)で主将を務め、日本代表経験も持つ元トップ選手だ。

自身の東農大二高(群馬)時代の監督に「めちゃくちゃ格好いい。自分もいつか、ああなりたい」と憧れを抱き、厳しい練習の合間を縫って現役時代に教員免許を取得。2015年春、故郷の桐生市にある桐生第一に赴任し、ラグビー部の監督に就任した。

指導のモットーは「感情で指導はしない」だ。選手自身が考えるラグビーを徹底し、課題や困難に選手がぶち当たっても、正解は言わない。

答えにつながるキーワードを投げかけ、選手自身に導かせるのだという。

練習環境の向上にも協力を惜しまない。人工芝の校内グラウンドは手狭なため、週に2回は車で約40分離れたパナソニックのグラウンドで練習するが、往復のマイクロバスは監督自身がハンドルを握る。

恩師のラグビーにかける思いを目の当たりにしてきた選手たちは、全国への切符で応えて見せた。

初の全国大会でのスローガンは、試合を見た人たちの心に残るような、インパクトのあるラグビーをしようと「ディープインパクト」を掲げた。

迎えた昨年12月28日の1回戦の相手は、8度目の出場となる米子工(鳥取)。初出場の緊張や重圧を感じさせず、生き生きと躍動する選手たちは、流れるようなパス回しと俊足を生かしてトライを量産。客席から惜しみない声援が送られ、ラグビー担当記者からは感嘆の声すら漏れた。

終わってみれば、110―0での圧勝。初出場校の三桁得点は史上初という快挙を成し遂げた。

フランカーの新井穂主将は、中学卒業をもってラグビーをやめようと思っていた。そんな時、幼い頃から憧れの存在だったという霜村監督の目に留まり、「ラグビーを続けないか。俺と一緒に花園に行こう」と声を掛けられ、競技を続ける決心をした。

「霜村さんと一緒に花園で試合ができて、これ以上の喜びはない。1試合でも多く、監督やチームのみんなと試合がしたい」。屈託のない笑顔で話した。

全国の壁は、低くなかった。同30日に行われた2回戦はBシードの強豪、常翔学園(大阪第3)と対戦。0―67の完敗だった。

それでも、格上相手にも臆することなく、持ち味のタックルで対抗し、満員の観客からは再び大きな声援を浴びた。

試合直後は涙に暮れた選手たち。一人一人に「ありがとう」と声をかけながら握手を交わした霜村監督の目からも、大粒の涙が止まらなかった。

取材エリアに姿を見せた選手、監督は一様にすがすがしい表情だった。新井主将が「タックルをこんなにできる相手と最後に試合ができて、本当に幸せだし誇らしかった」と言えば、霜村監督は「60分間よくタックルを続けた。選手たちには胸を張ってほしいし、感謝でいっぱいです」とたたえた。

霜村監督は選手と過ごした3年間について記者が質問すると、再び目頭を熱くした。

「僕は幸せ者です。教員になってこんなに泣いたのは初めて。絶対泣かないと思ったんだけど、すみません」と、赤くかじかんだ手で顔をゴシゴシと拭った。

一つの目標に向かって、選手と指揮官が互いを信じて戦い抜く。生涯をも左右する出会いと、強固な信頼関係。

平成最後の高校ラグビー大会で見せてくれた桐生第一の姿は、スローガン通り、多くの人に強烈なインパクトを残し、私にとっても忘れられない取材となった。

久納 宏之(くのう・ひろゆき)プロフィル

2013年共同通信入社。仙台支社、岡山支局、和歌山支局で警察・行政取材などを担当した後、現在は大阪支社運動部で大相撲やJリーグ、パラ競技などを取材する。東京都出身。