プロ野球のロッテ一筋25年。福浦和也が史上52人目の通算2千安打を達成した。

42歳9カ月での到達は史上2番目の年長記録。「けがもあって遅くなった。ここまで続けさせてくれた球団やファンに感謝したい」と充実感に浸った。

9月22日の西武戦、2―2の八回だった。相手は左腕の小川龍也。追い込まれてからのスライダーに反応すると、鋭い打球がライトの右を襲った。

一塁を蹴って二塁へ向かいながら、もう笑みがこぼれる。滑り込むと「頭が真っ白になった」と思わず冷静な男が左手でガッツポーズ。すぐにベンチを振り向いて両手を掲げると、後輩選手たちも全員がベンチを飛び出して我がことのように喜んだ。

練習熱心で物腰柔らか。それでいて球場を離れればモノマネ上手でひょうきんな一面も持つ。だから誰からも愛され、尊敬される。

2軍調整中の岡田幸文や荻野貴司らも球場に駆けつけていた。

千葉のファンは応援歌で「オレたちの福浦」と親しみを込める。ZOZOマリンスタジアムがある千葉市の隣、習志野市が生んだ地元の大スターだ。

ロッテが川崎市から千葉市に移転したのが1992年。福浦の入団は1994年で「ロッテが千葉に来ていなかったらドラフト指名すらされていなかったかも」と真顔で言う。

それもそのはず。1993年秋に行われたドラフト会議で12球団の最後まで指名を続けたロッテの最下位、7位指名が「投手」の福浦だった。

「ドラフトの最後にピッチャーで名前を呼ばれた僕が、野手になって2千本も打つなんて誰も想像しなかった」と実感を込めて言う。

転機は1年目の夏前だった。入団してすぐに左肘などを痛めてまともに投げられていなかった福浦は、山本功児2軍打撃コーチに呼び止められフリー打撃を命じられた。

「元々打つのは好きだった」という福浦の打球はポンポンとライトフェンスを越えた。その日以降、山本コーチや醍醐猛夫2軍監督から連日、打者転向を勧められた。オールスター明けには決意し、3年間は2軍で打撃と守備を徹底的に磨いた。

4年目にようやく初安打が出ると、2001年に首位打者を獲得して主力に定着した。

当時は打撃フォームがイチローに似ていると言われていたが、それもモノマネだった。

イチローだけでなく、松井秀喜も稲葉篤紀も、当時の大打者の形態模写から自分に合うエキスを抽出していったという。

近年は満身創痍で、2千安打へ秒読み段階だった最近は特に首痛に悩まされた。

崩されるとすぐに左手をバットから離してしまうほど。それでも「ファンがいるから僕の体を動かしてくれる。最後は気力」と打席に立ち続けた。

挫折から始まっても、栄光の結末にはたどり着ける。福浦は軽々しく「夢や希望を与えたい」などとは口にしないが、その足跡は何よりも雄弁だ。

森安 楽人(もりやす・らくと):プロフィル

2008年共同通信入社。本社運動部、大阪社会部、同運動部で勤務。13年末に本社に戻り、主にゴルフ、相撲、バドミントン、テニスをカバー。18年から2度目のプロ野球担当。筑波大ではバドミントン部に所属した。大阪府出身。