22歳のスター候補が日本選手初の世界戦での計量失敗という失態を犯した。

世界ボクシング評議会(WBC)フライ級王者だった比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)は、デビューから無敗で、4月15日に予定された3度目の防衛戦には日本新記録の16試合連続KO勝利が懸かっていた。

だが、節目の試合を目前に王座を☆(刈のメが緑の旧字体のツクリ)奪された。試合前日の公式計量でリミットの50・8キロを900グラムオーバー。3月1日の世界戦前に体重超過で王座☆(刈のメが緑の旧字体のツクリ)奪となったルイス・ネリ(メキシコ)が山中慎介(当時帝拳、引退)に勝ち、計量失敗へ厳しい声が巻き起こっていた時だった。

ボクシング界への衝撃は大きく、日本ボクシングコミッション(JBC)は比嘉のボクサーライセンスを無期限停止処分としたのも致し方ない。

計量2日前の検診では異常はなかったが、明らかに比嘉の様子がおかしかった。顔色は悪く、関係者に体を支えられながら歩く姿はこれまでにないもので、10キロ以上もの減量の苦しさを感じさせた。

計量当日は、はかりに乗る前から体重オーバーの声が上がる異様な雰囲気だった。

100、200グラムの体重超過なら、2時間の猶予が与えられる再計量で何とかなったかもしれない。毛髪をそり、下着を脱ぐという必死の手段も残されていた。

だが、ぎりぎりまで絞った状態で、900グラムは重くのしかかった。

結局、2時間の猶予を与えられた再計量に臨むことなく、ギブアップ。元世界王者の具志堅用高会長は「本当に申し訳ございませんでした。あってはいけないこと。本人は汗一つ出ない」と、まな弟子に代わって頭を下げた。顔を上げた時の厳しい表情が深刻さを物語っていた。

比嘉と同郷の沖縄県出身で元世界王者の浜田剛史氏は「体重は落として当たり前。まして世界王者が…」と語った。

取材で話を聞いたボクシング関係者の間からは、驚きや同情、無念さを口にしながら、比嘉陣営の体調管理を疑問視する声が上がった。

具志堅会長は、比嘉の体重推移を把握していなかったという。「トレーナーも教えてくれない。(比嘉)大吾を信じている」と会長。比嘉への信頼があったのだろうが、そこに甘さがあったように思う。

「毎日体重を報告させるし、教えないなら目の前で体重計に乗せる」と他のジム関係者は語る。

練習前後の体重を日々報告させるジムも多い。選手と担当トレーナー任せにせず、ジム全体で減量計画をどこまで遂行できているか、管理し、支え、導く役目を果たすべきだった。

比嘉はことあるごとに、「フライ級での試合は次で最後」などと限界を口にしていた。

過去にも試合前の減量苦によるけいれんを引き起こしていた。

身長161センチながら、183センチの世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王者、村田諒太(帝拳)に迫る胸囲97センチを誇る。軽量級とは思えない筋肉質な体を鍛錬でつくりあげ、連続KO勝利につながる強打を生んできたが、そのパワーの源となる筋肉量が減量苦としてはね返ってきた。

4月の試合は、前戦からわずか2カ月という異例の短期間。一度極限まで削った心身を緩め、すぐに削る作業はより困難を極めたことは想像に難くない。

陣営にはより細心の注意が必要だった。結果論ではあるが、連続KO勝利記録への期待や試合計画が絡み、階級変更に踏み切れなかったことも悔やまれた。

王座を失った上で行われた試合での比嘉は本来の姿とはほど遠く、陣営の棄権申し出によるTKO負けとなった。

比嘉は世界チャンピオンベルト、KOの日本新記録、全勝のパーフェクトレコード、そして関係者やファンの信頼の全てを失った。

慎重に考慮した上で再起の時期を探ることになるが、今後は厳しい視線が注がれ続けることだろう。

心身の復調に加え、適正階級、体制の見直しなどが不可欠だ。才能は誰しもが認めるところ。今回の汚点を拭い去るには、期待を集めてきた拳で復活をアピールするしかない。

伊藤 貴生(いとう・たかお)プロフィル

他社での記者経験を経て2005年に共同通信入社。3年間、札幌支社でプロ野球日本ハムを担当。本社運動部、名古屋支社運動部を経て、15年5月から本社運動部でアマ野球、ボクシングなどをカバーしている。鳥取県出身。