盛者必衰の理(ことわり)をあらわす―。平家物語冒頭の有名な一節ではないが、この世に永遠に続くことなどないのだ。中でも、スポーツの世界における変化はせわしない。過去に植え付けられたイメージが、あっという間に崩れてしまうことなどざらにある。

わずか数年前までは、Jリーグを代表する東西の横綱といわれていた「赤」と「青」のチーム。浦和とG大阪があえいでいる。

今シーズンの浦和は、J1で2分け1敗とスタートダッシュに失敗した。開幕からの3試合を終えて、勝利がないのは2005年以来だ。しかも、リーグ戦に限ると昨年から6戦勝ちなし。他のチームであれば、それも許されるのだろうが、何と言っても浦和は昨年のアジア王者だ。その栄光とのギャップが激しいだけに、勝てないチームにサポーターも戸惑っているだろう。

浦和以上に重症なのが、G大阪だ。J1では開幕から3連敗。その間に行われた3月7日のYBCルヴァン・カップのグループリーグ(GL)第1節も落としているので、公式戦4連敗となる。そのルヴァン杯ではベストメンバーで臨んだにもかかわらず、メンバーを落とした広島に0―4の完敗だ。

今季、G大阪は同じ街のライバルチームであるC大阪で指揮を執ったレビー・クルピ監督を招いた。それゆえ、「新しい指導者になったのだから時間がかかる」との意見もあるだろう。しかし、開幕3連敗はJ2に陥落した12年シーズン以来。リーグ戦での最下位はJ1が18チーム制となった05年以降で初めてのことなのだ。

J1に復帰した14年にリーグ、天皇杯、ヤマザキナビスコ・カップ(現ルヴァン杯)の国内3冠を成し遂げるなど国内で八つのタイトルを獲得しているG大阪。これは、鹿島の19に次ぐ2位だ。その強豪の低迷は今季に始まったのではない。昨年8月26日のJ1第24節で鳥栖を下したのを最後に、公式戦(J1、ルヴァン杯、天皇杯)では17試合連続で勝利から見放されている。

原因は必ずしもこれ一つに絞れるものではないが、大きな要素となっていると思われる出来事がある。それが現在、FC東京を率いる長谷川健太監督の退任をクラブ側が発表したことだ。

昨シーズン、G大阪は前半戦を4位で折り返した。首位のC大阪とは勝ち点差3と優勝が十分に狙える位置にいた。ところが、後半戦に入ると一転して勝ち点が伸びない。リーグが再開されてから7試合の成績は2勝1分け5敗。首位に立った鹿島とは勝ち点で13ポイント差と大きく開き、順位も7位と後退した。優勝争いから脱落したといえる状況で、長谷川監督がシーズンいっぱいで退任することが明らかになった。

だが、その時点でJ1は10試合を残していた。この時のクラブ側の判断は果たして正しかったのか。

新たな監督が指揮を執れば、チームの雰囲気も変わった可能性はあった。しかし、辞めると決まっている監督の続投は、選手たちの求心力を奪った可能性がある。最大で勝ち点30を獲得できるなかで、実際に獲得できたのはわずか4ポイント。5シーズンで四つのタイトルをG大阪にもたらした指揮官の手腕をもってしても、チームを立て直すことはできなかった。

3月10日に行われたJ1第3節の川崎戦。0―1で敗れた試合後、G大阪のサポーターはチームに容赦ないブーイングを浴びせた。そこには、昨年からの怒りが込められていたのだろう。

自信満々に余裕をもって戦う川崎の選手とは対照的に、G大阪の選手から伝わってくるのは「迷い」だった。そうなると、パスが来る前に次のプレーを選択している川崎との間に大きな差が出る。迷えるG大阪の選手たちの多くは、ボールが来てから考える。必然的に後手に回るのだ。

「苦しいですね。守るのもできんし、得点も取れない。後ろから見ていても自信なげに(ボールを)回している」

GK東口順昭は最後尾から見た現在のチームをこう評する。

そして、「一人一人が自分自身を変えていく強い気持ちがないと、この状況は変わらない。それにはすごいパワーがいる」と続けた。その言葉からは、「泥沼」とも言えるこの状況の解決が容易でないことがうかがえた。

この日、クルピ監督は17歳の中村敬斗、20歳の市丸瑞希を先発させた。C大阪時代から香川真司をはじめとして若手の育成には定評がある監督だけに、新しい力に活路を見いだそうとしているのだろう。ただ、頂点を知っているチームだけに、ベテラン選手たちの意識を変えるのは簡単ではないだろう。

それを考えれば、悔やまれるのは昨年9月の監督退任の発表だ。新しい人材が指揮を執る荒治療が必要だったのかもしれない。とにもかくにも、タイミングというのは本当に難しい。

3月14日のルヴァン杯GL第2節でG大阪は浦和を4―1で撃破。長らく遠ざかっていた勝利の喜びを得たことは、上昇のきっかけとなるだろうか。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続。