2月25日に閉幕した平昌冬季五輪で、カーリング界悲願のメダル獲得を果たした日本女子の勇姿を天国から応援されていたことでしょう。

熱い情熱でカーリングの醍醐味をテレビ解説の場から支えた小林宏さんが、がんで亡くなられたのは2016年2月18日のことでした。

享年68。闘病していたことを知らず、突然の訃報を勤務先の米国で伝え聞き、驚きを禁じ得ませんでした。

小林さんとの出会いは14年ソチ五輪で解説記事を依頼するために、川崎市内の自宅兼オフィスに伺ったのが最初でした。13年の春だったと記憶しています。

小林さんは1992年アルベールビル五輪(公開競技)で日本代表監督を務め、98年長野五輪では競技委員長として尽力。チーム青森が出場した06年トリノ五輪、10年バンクーバー五輪では熱狂的かつ、分かりやすいテレビ解説で注目を集めました。

カーリングのショットの種類や複雑な戦術が今ほど世間に浸透していない中で、かみ砕いた表現とナイスショットが決まった時に思わず出る絶叫は当時、メディアでも話題になりました。

カーリングの本場カナダと深いつながりを持っていた小林さんは日ごろから「4年に1度の五輪だけでなく、カーリングを文化として定着させたい」と言っていました。

メディアの仕事をされる中で抱いていたことにカーリング用語の普及があります。中でもこだわりを持っていた表現の一つが「コンシード」です。

カーリングでは点差が開いて負けを認める時は、試合途中に相手に手を差し出して握手をします。

この「相手の力量を認め、負けを受け入れる」行為をカーリングでは「コンシード」と言いますが、私たちメディアは分かりやすく「ギブアップ(勝負をあきらめる)」と表現してしまいがちです。

小林さんは常々言っていました。

「僕もテレビの中ではコンシードを説明するんだけど、アナウンサーはギブアップと言ってしまうんだよなあ。吉谷くん、カーリングというのは自分たちの力が及ばなかったら、相手の力を素直に認めるフェアな精神が競技の中心にあるんだよ。それこそカーリングの真髄なのにね」

日本女子のLS北見が悲願の銅メダルを獲得した平昌五輪でも、勝者と敗者が握手を交わすシーンが何度もありました。

日本の1次リーグ最後のスイス戦。自力での準決勝進出を決められず、負けを認めた日本も握手を交わす時は笑顔を忘れませんでした。

決勝でも地元韓国が第9エンドを終えて5点差と開き、最後は4人で意思を確認して笑ってスウェーデンチームに手を差し出しました。

限られた時間で戦術を練り、持てる技術を出し合う。カーリングは知力、体力、技術に加え、選手たちのりりしく潔い姿があるからこそ、多くの人の心を打つのだと思います。

LS北見の活躍に、20年ぶりに出場した男子のSC軽井沢クラブ。日本が真のスポーツ大国を目指すのであれば、こんな魅力の詰まった競技を一過性のブームとして消費するのは終わりにし、カーリングの真髄を楽しむ文化をつくり上げていきたいものです。

3月17日からカナダ・ノースベイで開催される女子世界選手権には、代表選考会を兼ねた日本選手権で優勝した富士急が出場します。(平昌五輪直前に開催された日本選手権にLS北見は不参加でした)。

山梨県山中湖村に小林さんが自費で建設したカーリング場を拠点にする富士急は、設立当初は「チームフジヤマ」の名で活動し、小林さんがヘッドコーチを務め、育て上げてきました。

北海道、青森、長野のチームが日本を代表して五輪や世界選手権で戦ってきた中で、「ミスターカーリング」の遺志を受け継いだ山梨のチームが初めて世界にデビューします。

ともしびは一つだけではありません。4年後に向けた日本代表を目指す新たな戦いが始まります。

吉谷 剛(よしたに・つよし)

テレビ局勤務を経て、2002年共同通信社入社。プロ野球、五輪取材など幅広く担当し、テニス・卓球の球技系が専門。14年ソチ冬季五輪では現地支局長として半年間赴任し、15年からニューヨーク支局に勤務。現在は大リーグや北米開催のスポーツをカバー。北海道出身。