「阪神と楽天の日本シリーズを見たい」。1月4日に70歳で急逝した星野仙一氏が昨年、野球殿堂入りを果たし、その記念パーティーで口にした言葉で、そこに素直な心情が見てとれた。

挙げたチーム名は、14年間エースとして活躍し、引退後は監督としても優勝に導いた古巣の中日ではなく、阪神と楽天だった。

現役投手時代に146勝を挙げ、引退後は5年間と6年間の計2度、中日監督を務め1度ずつリーグ優勝した。

しかし、殿堂入りした最大の理由は、阪神を18年ぶりに優勝させて虎ファンを熱狂させ、東日本大震災の被災地東北に「楽天の日本一」という夢と希望をもたらしたからだと思う。

▽中日から阪神に直行

阪神は2001年に野村克也監督に夫人の脱税問題が発覚し辞任し、次期監督を探していた。野村氏から星野氏と西本幸雄氏が推薦されたという。

この時点で星野氏は中日監督だった。1999年に2度目の優勝を果たしたが、01年は5位に沈み、指揮官として行き詰まりを感じていたようだ。

当時の野崎勝義阪神球団社長は「チーム改革には厳しさがある西本さんが適任と過去にも打診したが、ややこしい球団体質や健康問題などで断られていた。まさか(ライバル球団監督の)星野さんがうんと言ってくれるとは。最初、星野さんは『(右腕的存在の)島野育夫を2年間ほどやらせてはどうか』と言っていた」と著書に残している。

野崎社長が野球界を知らないからだが、「ユニホームを着てなんぼ」という野球人は多い。西本氏だって阪急から近鉄に間を置かず移って驚かせたものだ。星野氏の本音の情報に猛アタックをかけたのは言うまでもない。

▽ぬるま湯を一掃

星野氏が手がけたのは阪神のぬるま湯的体質の一掃だった。選手の意識改革であり、オーナーの目を球団に向けさせることだった。殺し文句は「勝ちたいんでしょ」だった。

明大ブランドやNHKなどでの評論家生活を通じて培った人脈や言葉をフル回転させて選手を引っ張り続けた。

もちろん、中日時代の「鉄拳制裁も辞さない監督」はみんな知っている。実力以上にスター意識が強い選手も「今までの監督とは違うかもしれない」と覚悟したに違いない。

▽GM的監督

選手の尻をたたくばかりではない。戦力補強ではペタジーニ(ヤクルト)中村紀洋(近鉄)金本知憲(広島)のFA獲得を求めた。3人で総額20億円。久万俊一オーナーはひっくり返るほどびっくりしただろう。金本だけを獲得できたが、4番打者として優勝に貢献し、今や監督となっている。

星野監督は中日でもトレードなどで選手の大幅な入れ替えを頻繁に行って、常に緊張感を持たせていた。

監督のGM的役割の兼任に躊躇はない。当時の阪神コーチ陣を見ると、大学時代からの親友である田淵幸一氏、元巨人の西本聖氏など多士済々で、阪神OBであろうがなかろうが、いいと思った人物を起用している。星野流の真骨頂である。

▽選手に謝る

就任2年目の03年に優勝したが、明らかに中日監督時代と違う面も見せた。

開幕から7勝5敗で迎えた宿敵巨人との初対戦。打倒巨人は現役時代からの熱い思いであるが、阪神監督として優勝する上で倒さなければならない相手でもあった。

4月11日。6点差をつけながら九回に同点とされ延長十二回引き分け。救援の吉野誠が九回2死、0ボール2ストライクと「あと1球」で勝つ場面で吉野を降板させ藤川球児をマウンドに送ったが、藤川が打たれたのである。

試合後、星野監督は「交代させた監督が悪い」と謝った。代えた理由は「吉野に抑えるという気迫が足りない」というものだった。

チーム全体に気合を入れようとしたのだろうが、さすがにやり過ぎで選手たちの心が離れるピンチと感じたからこそ、頭を下げたのだろう。続く2試合は連勝して窮地に陥らなかった。

▽背番号「77」

星野氏は監督として必ず背番号「77」をつけていた。77番は、巨人がV9を達成したときの川上哲治氏の監督時代と同じ。今では広く知られた話だが、私が最初に知ったのは30年ほど前だった。

当時、西武球団で辣腕を振るっていた根本陸夫管理部長から「何で77番か分かるか」と言われた。

根本氏は広島の山本浩二氏を含め星野、田淵氏ら現役引退後の3人とよく食事をした。ポストONとして球界を引っ張ってくれ、との期待があった。

「星野は川上さんを尊敬しているんだよ。背番号を見れば分かる」と聞かされたものだ。

▽独自の指導法へ

川上監督といえば「徹底した管理野球」で知られる。星野氏も中日では2ストライクの後は必ず1球ボールを投げる、ということを決めていて、これができなかった投手から罰金を取った。

これはほんの一例だが、阪神や楽天でもこうしたセオリーの徹底をやったと思うが、そこに川上氏にはなかった「情」が絡むのが星野氏だと思う。

▽マー君で締める

13年の楽天日本一は当コラムでもよく取り上げたが、その一つに「起用法に見る星野流精神野球」を一部再録させてもらう。

巨人との日本シリーズ。第6戦を田中将大で落とし3勝3敗で迎えた最終戦。3点差の九回に、前日160球を投げた田中を登板させた。

「つい先日他界した、星野監督が師と仰ぐ川上監督なら絶対やらなかっただろう。勝つための最善策から言えば、2番手の則本昂大が今シリーズで巨人を翻弄しており代える要素はない。実際に田中は2走者を出し一発出れば同点のピンチを招いた」

こうした采配を含めファンを引きつけたのが星野監督だった。

監督17年間で1181勝、三原脩、西本氏に続く史上3人目の3球団での優勝など、波乱に富んだ野球人生も病魔には勝てなかった。

楽天は背番号77を永久欠番にする考えのようだが、被災地の人々の記憶に深く刻み込まれたまま旅立ったのは、せめてもの慰めである。

田坂貢二(たさか・こうじ)プロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆