東京の空が、ひときわ青いと感じられる時期がある。それは正月。工場が休みに入り、自動車の数が減る。それに伴い、排出される煙や排ガスが少なくなり、空気が普段より澄むからだ。ただ、個人的なことを言えば、空を見上げる回数がいつもと比べて多くなるからそんな印象を持つのかもしれない。

駒沢陸上競技場。東京・世田谷区にあり、1964年の東京五輪でもサッカーが行われたこのスタジアムは、高校サッカーの聖地の一つでもある。旧国立競技場が取り壊された現在は、北区の味の素フィールド西が丘(西が丘サッカー場)とともに、サッカーの全国高校選手権の試合が最も行われているスタジアムなのではないだろうか。

同競技場がある駒沢公園は、全国高校サッカーが開催されている正月には多くの人がたこ揚げに訪れる。だから、試合を見ながらもついついたこの浮んでいる空を見上げてしまう。たまにコントロールを失ったたこが会場内に落下してくるが、それも駒沢の風物詩だ。

Jリーグが発足する以前、高校サッカーは日本サッカー界の花形だった。日本代表の試合であってもスタンドに空席が目立った時代に、全国高校選手権の決勝は旧国立競技場を満杯にするほどの人気を誇った。来シーズンからFC東京の監督に就任する長谷川健太氏や武田修宏氏を擁する清水東と、元横浜フリューゲルスの前田治氏がいた帝京が対戦した1983年度の第62回大会の決勝戦は中でも語りぐさとなっている。何しろ、スタジアムに入り切れない観客で道路があふれたのだ。

しかし、Jリーグの発足に当たり各クラブに下部組織を持つことが義務付けられたことによって、いわゆる高校年代の選手たちのサッカー環境は大きく変わった。Jリーグの各クラブはスカウト網を通して、優秀な人材の“青田買い"を始めた。これが影響して、以前に比べると高校サッカーのタレントは小粒になった。

将来、プロ選手になりたいという純粋な夢を抱く少年なら、プロに直結するJクラブの下部組織に魅力を感じるのは当然だろう。学校の部活動では往々にして見られる、上下関係による不条理もクラブユースには少ない。加えて、練習環境と指導者の質も高い。自分が住む地域にJクラブがあったなら、そこを目指すのは当然だろう。

だからといって、Jクラブ下部組織出身の選手が、高校サッカーの出身者より優れているかというと必ずしもそうではない。なぜならば、ワールドカップ(W杯)に出場するようになって以降の日本代表の歴史をつくってきたのは、圧倒的に高校サッカー出身の選手なのだ。

中田英寿氏らはちょうどJリーグ発足のはざまにユース年代がかかるが、それ以降はJチームのユースが整備されている時代の選手だ。その中でも、高校サッカーで頭角を現した選手がいる。横浜Mのユースに昇格できずなかった中村俊輔(J1磐田)だ。さらに、99年の世界ユース(20歳以下)選手権(現U―20ワールドカップ)で準優勝した、いわゆる「黄金世代」でも、圧倒的に高校サッカー派閥が幅を利かせた。小野伸二や遠藤保仁、小笠原満男、本山雅志、中田浩二と高校サッカーのスターの名が並ぶ。W杯本大会に出場した日本代表のメンバーを見ても、田中マルクス闘莉王や中澤佑二、本田圭佑、岡崎慎司、長友佑都、内田篤人など高校サッカー出身者が大半を占める。

一方でJユース出身者を見ると、日本代表で確かな足跡を残したという意味では宮本恒靖や稲本潤一らの名が挙がる。そして、香川真司に関して言えばC大阪U―18に籍を置いたが、高校2年までは宮城県のFCみやぎバルセロナユースに所属。純粋な意味でのJユース出身者ではない。

酒井宏樹や原口元気、井手口陽介。現在のハリル・ジャパンにも、Jユース出身の選手はいる。しかし、絶対的な存在とは言えない。

なぜ、クラブチームからは中心となる選手が出てこないのか―。元日本代表選手に疑問をぶつけると「周囲の選手がうま過ぎるから」という答えが返ってきた。少数精鋭のJユースの選手はいわば、この年代のエリートだ。当然のことだが、チームを組んだときに穴ができることは少ない。だから自分の役割をおのおのがこなせば、それだけで質の高い内容の試合ができるのだ。

一方で高校サッカーを見れば、すべてのポジションに高い質の選手をそろえられる訳ではない。出来た穴は他の選手が埋める。必然的に何でもやってしまう選手が育つ。弱いチームにいれば、エースは味方から「何とかして」とボールを預けられる。そこで何とかしてしまうことで、さらに存在感を高め、誰もが認めるチームの中心となる。エースと呼ばれる「何でも屋」。J1川崎の中村憲剛もきっと、そういう高校生だったのではないかと思う。

現在の高校サッカーを見ていると、こんなに多い部員数でどのように練習を行っているのかと不思議に思うチームもある。その決して合理的ではない環境からも、規格外の存在は生まれる。そんな将来の日本代表の中心となる選手が、今年の選手権からも出現してほしい。それにしても、彼らはいま「青春」だ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続。