球界再編の動きがようやく落ち着きを見せた2004年12月にプロ野球担当となり、現場で見てきた試合はざっと1500試合くらいにはなるだろうか。

数々の印象的な場面に出くわしてきたが、通算2千安打の節目を目の当たりにしたのはたった3度しかない。

08年に担当した阪神の金本知憲、16年は広島の新井貴浩が達成した試合を遊軍として手伝った。

そして3度目は8月13日のマツダスタジアム。巨人一筋17年目の阿部慎之助が、球団生え抜きでは5人目、その中で大学出では長嶋茂雄氏以来2人目の偉業にたどり着いた。

達成の瞬間だけは敵味方も関係なく球場が一つになる。

1―4の九回1死無走者、広島の守護神・今村猛のフォークボールを鋭く引っ張って右前へ運んだ。一塁上で広島の新井、巨人の坂本勇人から花束を受け取り、記念のパネルを手に何度も頭を下げると、スタンドの巨人ファンはもちろんのこと、広島ファンからも「慎之助、慎之助」と大きなコールが起こった。

残り1本で迎えたこの日の1打席目から「集中していたのであまり聞こえなかった」と振り返った阿部も、この大歓声には「本当に野球ファンの方は温かいなと思って感謝している」としみじみ口にした。

史上49人目の2千安打には「正直打てると思っていなかったし、目標にもできるような選手じゃなかったと自分でも自覚している。本当打ててしまったな」というのが率直な感想だった。

残り83本からスタートした今季は開幕から順調に安打を重ねたが、6月18日のロッテ戦で内角高めのボール球をよけた際に倒れ込み、右膝を負傷して戦列を離脱した。

「何とかチーム、自分のために復帰したいなと思いながら頑張れた」とリハビリを経て1軍に戻ると、その後は再び着々と安打を放って大台に到達した。

38歳のベテランは試合後の記者会見で2500安打を次の目標に掲げた上で「400号も近いのは知っている」と語った。2千安打と400本塁打をともにクリアした選手となると、過去に15人しかいない。

高校時代の恩師にお話を聞かせていただいた。中大時代にシドニー五輪の代表に選ばれ、ドラフト1位で巨人に入団。絵に描いたようなエリートのように見えるが、東京・安田学園高に入学した当時はそこまで飛び抜けた選手ではなかったという。

元監督の中根康高氏によると「1年生の時からミートはうまかったが、飛距離はそこまでではなかった」そうで、その後の地道な努力で少しずつスカウトの注目を集める選手に成長した。

夜11時まで練習に励みつつ、学業も「普通にまじめにやっていた。成績も真ん中より上」と決しておろそかにしなかった。今でも五輪に行った時のサイン入りバットや、プロで使用したレガースなどが母校に飾られているそうだ。

余談になるが、私自身は13年間で計6球団を担当していても、いまだに担当球団の優勝を経験したことがない。

Bクラスになったのは3度だけでも、“持っていない記者"と言われれば仕方がない。

大型補強をした巨人担当となり、今年こそはと思ったが…。シーズン終盤の追い上げに期待しつつ、ペナントレースの行方から最後まで目が離せない。

松下裕一(まつした・ゆういち)2004年に共同通信入社。05年からプロ野球を取材し、オリックス、阪神、ヤクルト、西武、日本ハム、遊軍を経て、17年から巨人担当。東京都出身。