サッカー日本代表でワールドカップ(W杯)に2大会出場し、日本選手歴代最多通算3ゴールの実績を持つ本田圭佑が、新天地にメキシコ1部リーグを選んだ。

パチューカ移籍のニュースが飛び込んだ瞬間は驚いたが、今はその意外性こそが本田らしいと思っている。

2008年の海外初挑戦はオランダ。過去に愛称「レフティーモンスター」の小倉☆(隆の生の上に一)史や早熟の天才、小野伸二らがプレーしたリーグで、ステップアップを狙う若手としては定石といえた。

ところがだ。オランダ2部優勝の立役者としてシーズン最優秀選手に選ばれ、1部でも活躍した実績を引っ提げて10年1月に向かった先はロシアのCSKAモスクワ。リーグのレベルはおそらくオランダの方が上で、足を痛めやすい人工芝の競技場が多いし、春や秋は非常に寒い(移籍当初は春秋制で冬はオフだったが)。

首をかしげる決断だったが、ここでの活躍が欧州屈指の強豪ACミラン(イタリア)移籍につながった。

ミラン入団の際は本拠地の特設会場に報道陣約200人を集める盛大な記者会見に臨み、エースナンバーの背番号「10」を自らリクエストして獲得。7度の欧州制覇を誇る名門クラブで、ただでさえ大きな重圧をさらに膨らませるような行為に及んで自らを追い込んだ。

独特の価値観と人並み外れた挑戦意欲を持つ本田ならではの豪胆さだった。

メキシコでは過去にも日本人がプレーしているが、Jリーグや年代別日本代表などで実績があるのは名古屋(現J2)で活躍したFWで、仙台時代にパチューカへ期限付き移籍した福田健二くらいだ。

J1鳥栖のFW小野裕二の兄でJ2岐阜のMF小野悠斗もメキシコでプレーしたが、1部のピッチに立った経験はないという。

代表クラスの日本選手がどう活躍の場を確保できるかの前例がないリーグに飛び込むのは大きな賭けだ。

日本からも欧州からも遠く、日本代表のハリルホジッチ監督が視察する機会も限定されるだろう。それでも本田は、集大成となる来年のW杯ロシア大会で有終の美を飾るためにあえて未開地を選んだ。

18日の入団会見では「欧州に残る選択肢もあったが、自分の守りの姿勢に腹が立っていた。ここなら刺激的なチャレンジになる」と抱負を述べている。

09年9月に日本がオランダと敵地で対戦した国際親善試合で、期待の若手だった本田は後半開始からプレーしたが精彩を欠いた。試合後に取材すると「ゲームに入れていなかった」と肩を落とし、何かを深く考え込んでいるようだった。

その後に翌年1月のロシア移籍を決意。厳しい環境でもまれて成長し、半年後のW杯で大車輪の活躍をした。

今回は当時と状況が似ている。ACミランで出番に恵まれず、日本代表でも右アタッカーの定位置を久保裕也(ヘント)に奪われた。長く君臨した絶対的なエースの地位を失い「これは起こり得る現実」と受け止め、自らを鼓舞するように難しい挑戦を選んだ。

パチューカのアロンソ監督は23日の今季開幕戦後に本田が筋肉に違和感を持っていることを明かし「起用は3~4週間後になる」と話した。関係者席から試合を見届けた本田は、無得点に終わった攻撃陣をどう活性化するかイメージを膨らませたはずだ。時間はある。W杯イヤーの完全復活を期待したい。

戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。1997年に共同通信運動部に入り、サッカーのW杯や夏冬の五輪などを取材。15年1月からリオデジャネイロ支局で五輪とパラリンピックを準備段階から現地で取材。帰国後、運動部デスク。