1点差のゲームというのは、かなり奥深いものがあるのではないかと思う。もちろんその最少得点差は、両チームの実力が伯仲したなかから生まれることが多いのだろう。だが、場合によっては、敗れたチームが、相手に手玉に取られた上での1点差というのもあるのではないか。相手に完全にコントロールされた上での「仕組まれた惜敗」だ。勝てなかったのは、結果論だといわれてしまうかもしれない。ただ日本のチームを見ていると「善戦」といわれながらも結果的に1点差で負ける試合が多い。しかも、これが同点ではなく、1点差というところが問題なのだ。なぜなら相手は日本チームには勝ち点1も与えてくれないからだ。

ちょうど4年前、日本代表はブラジルで開催されたコンフェデレーションズカップで世界の注目を浴びる試合を演じた。前年の欧州選手権で準優勝したイタリアに3-4と善戦した。堅守で鳴らすイタリアの、あのブフォンから3点を奪った試合は、誰の目にも互角の内容と映ったはずだ。ただ結果としては敗戦だった。本当に実力のあるチームというのは、接戦になった試合でも最終的に1点差で勝ってしまう。同点にされれば、また1点奪う底力がある。彼らにすれば、必要なのは勝利という結果だけ。世界のトップシーンを見ていると、そう思える。そして残念ながら、日本にはそのようなチームが存在しないと感じる。

今年、J1の夏季中断中に開催されることとなったJリーグのワールドチャレンジ。7月15日に埼玉スタジアムで行われた浦和対ドルトムントの一戦は、5度のゴールシーンがあり見どころは十分だったと思う。スタンドを埋め尽くした観衆も、さぞかし満足したことだろう。興行としては大成功ではないだろうか。結果は2-3で、浦和が1点差負け。いわゆる惜敗だ。しかし、冷静に考えると、Jリーグを代表するチームでも、ブンデスリーガのトップとはかなりの実力差があるというのが正直なところだった。

ドルトムントの選手は、驚くほどタフだ。12日に(欧州組が)欧州で試合を行い、翌日に移動。日本への到着は14日の昼で、完全な時差ボケのパターン。その状態で15日の夜には気温30度を超える多湿のスタジアムで試合を行う。高パフォーマンスを求めるには無理がある。しかも、監督が代わったばかり。選手はトレーニングを積んできたとはいえ、オフ明け。チームとしての成熟度はないも同然だ。それを考えれば、2失点はうなずける。どちらもCKの場面でのマークを外されてのシュート。まだセットプレーの守備組織が整っていないのだろう。

浦和のチャンスはもちろんこれだけではなかった。後半13分の関根貴大の独走など、流れの中からもビッグチャンスをつくった。しかし、ペトロビッチ監督の「ドルトムントと良い戦いができたように、われわれのサッカーは世界にも通用する」という言葉はちょっと自信の持ち過ぎかと思う。確かに通用する可能性はあるのだが、それがドルトムントと同列で語られるレベルではないのは明らかだ。組織的戦術はもちろん大切だ。これがなければ日本のサッカーは成り立たない。ただ、かつて海外組がよく口にしていた「個の成長」がなければ、日本のサッカーはこれ以上強くなれないというのは真実だろう。浦和になくてドルトムントにあるのが「個」の力なのだ。

確かに関根のドリブルは、日本では珍しく「個」を前面に押し出したスペシャルな武器だ。しかし、その関根の個性でさえ、ドルトムントの19歳エムレ・モルのトリックを目にすればかすんでしまう。トラップのアイデア一つで、かつてケルンでプレーした槙野智章をほんろうしてしまう。日本のサッカーでは個人の技術や発想に驚かされることがかなり限られる。強いチームは、組織的戦いで息詰まった試合を個人の力で解決する。

コンディション不備のドルトムントにあって、予定通りにもみえる1点差の勝利を決めたのはアンドレ・シュルレの技術だった。終了間際の後半43分、左サイドの角度のない位置からニアサイドを打ち抜いたシュート。左足インサイドでの狙いすましたキック。あれをできる選手が、日本に何人いるだろうか。日本選手との比較。それはシュルレに失礼か。彼は3年前のワールドカップ(W杯)チャンピオンのメンバー。負けという言葉を何より嫌う人だった。

岩崎 龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材は2014年ブラジル大会で6大会連続。