勉強家、情熱家、頑固者と形容される上田利治阪急ブレーブス元監督に付け加えるとしたら「野球の虫」だろう。それこそ四六時中、勝つために何をしたらいいかを考えていた人だった。

7月1日に亡くなった上田氏は2003年に野球殿堂入り。20年間の監督生活で歴代7位の1322勝を挙げ、リーグ優勝5度、日本シリーズ3連覇という手腕が評価されたものだ。

「勝てる監督」であるとともに、それまでの監督像をがらりと変えたことでも印象深い人物だった。

▽村山実とバッテリー組む

徳島・海南高から一般試験で関大に進学した上田氏は、2年生だった1956年の大学選手権で後に阪神のエースとなった村山実氏とバッテリーを組み関西に初の優勝をもたらした。

プロ入りは広島。その条件に「選手引退後は東洋工業(現マツダ)勤務」があった。

しかし、当時の松田恒次オーナーがその頭脳を評価して、3年の短い現役生活を終えるとわずか25歳で2軍コーチに転進させた。プロ野球の指導者としてのスタートだった。

▽西本・阪急のヘッドコーチ

1軍コーチ、評論家生活を経て、71年に西本幸雄監督率いる阪急(現オリックス)のヘッドコーチに就任。74年から監督となり75年から3年連続で日本一となり、西本監督が成し得なかった日本シリーズ優勝を老舗球団にもたらした。

西本監督の遺産で勝ったといわれたが、選手として実績のない上田氏が自我が強い個性派集団を日本一に向かわせたのは、なりふり構わず勝利にまい進する指導者としての揺るぎない姿だったと思う。

「あの選手はええで」が口癖の上田氏は、新しい若い阪急担当記者が来る度に「あんたは運を持っているか」と聞いた。「勝利への執念」を感じさせるひと言だった。

▽西鉄以来のパ3連覇

古葉竹識監督の広島と長嶋茂雄監督の巨人を2年続けて破っての日本シリーズ3連覇は、三原脩監督の西鉄(現西武)以来となるパの快挙だった。

他に3年連続日本一以上となると巨人・水原茂監督の3連覇、巨人・川上哲治監督の9年連続、西武・森祇晶監督の2度の3連覇だけである。

上田監督は4連覇を狙った78年は広岡達朗監督のヤクルトとの日本シリーズ。第7戦はヤクルト・大杉勝男の左翼本塁打をめぐり、上田監督が「ファウル」を主張して球史に残る1時間19分間中断した。

コミッショナーが仲裁に入る異例の事態となり、敗れた上田氏はその年で退団した。

「正しいことを曲げるわけにはいかない」という頑固さと激情的な性格が出た。ただ、“巨人びいき"ではないかという審判員に対する不信感と、人気回復が至上命題のパとして勝ちたい一心が引き起こした抗議だった気がする。

▽新聞社が西武監督を画策

上田氏は3年後の81年に阪急監督に復帰したが、この間評論家として所属していたスポーツ新聞社の社長が、業務提携を結んでいた新興の西武の監督就任を画策した。上田氏はその時点で阪急復帰を決めていた。

上田氏は球団がオリックスに変わった後も含め10シーズン監督を務め1度優勝。95年から5年間、日本ハムを率い2度2位となり優勝争いにも絡んだが、日本シリーズ出場は果たせなかった。

話は大きくそれるが、東京六大学リーグの東大監督にしたい一人が上田氏だった。選手の意識を大きく変え、相手チームを徹底的に分析し、持ち前の行動力で猛練習させる。この人なら面白いと何度か“妄想"したことがあった。

▽常に自ら試合分析

上田氏が登場する前のプロ野球の監督は近寄りがたい存在だった。

その代表例は川上氏であり西本氏。記者が変な質問でもしようものなら、にらみつけるか無視するかのどちらかで、「野球を勉強してこい」がまず最初にあった。最近でいえば、中日の落合博満元監督のやり方だろう。

ところが、上田監督は勝っても負けても試合の分析を、それも自ら切り出し、それこそ立て板に水のように話した。記者にとってこんな楽なことはない。

普段から担当記者なら分け隔てなく野球を教える態度を崩さなかった。この点では、試合前のベンチなりで「勉強会」を開いていた野村監督とよく似ていた。「野球漬け」の毎日だったのである。

▽三原監督の功罪

上田氏が監督像を変えたとすれば、上田氏の前にパで日本シリーズ3連覇をやってのけた西鉄の三原監督はプロ野球の優勝への考え方を大きく変えた監督だった。

三原氏は西鉄の後に大洋(現DeNA横浜)の監督となり、60年に最下位から日本一という快挙をやってのけた。

この劇的な出来事が各球団を「1年ごとの優勝を争う」ように駆り立てた。ファンの「大洋ができるなら」という思いも反映された。

▽打倒巨人

77年に阪急が日本シリーズ3連覇したとき、当時の日本ハム球団社長だった三原氏にコメントを求めたことがあった。「西鉄と阪急との比較を、この私に聞きますか」とやんわり言われた。

西鉄の3連覇は特別なのですよ、と言われた気がした。なるほど阪急より20年も前で、時代も違えば西鉄は稲尾和久、中西太、豊田泰光など魅力あふれる「野武士集団」だった。

ただ、西鉄、阪急、そして西武の3連覇球団がことごとく倒した相手は巨人だった。

そうした球史の上に、パがセに人気面でも追い付きつつある今日がある。上田監督の残した功績はやはり大きい。

田坂貢二(たさか・こうじ)のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆