「速く」「強く」「遠くへ」は野球でいえば速く走り、強い球を投げ、遠くへ飛ばすことになるのだろうか。

投手でいえば、昔から速球を追い求めてきた歴史と重なる。本能がそうさせるのだろう。

速球の目安は今では「球速」ということになるが、スピードガンが普及していなかった時代は見た目と「奪三振」の数だった。奪三振は速球投手の勲章でもあった。

▽あの野茂を抜く快挙

そんな球史に名を刻んだのが、楽天の則本昂大である。

6月9日、交流戦のDeNA戦で8試合連続の二桁奪三振のプロ野球記録を更新した。

1991年に近鉄(現オリックス)の野茂英雄が作った6試合連続を更新していた則本は、同16日のヤクルト戦で7回8奪三振に終わり、結局「8試合」のメジャー記録に並んだところでストップした。

5年目右腕の則本は178センチのがっしりした体つきで、打者に正面から立ち向かうけれん味のない投球が魅力だ。

ダルビッシュ有(レンジャーズ)と一緒に行ったフィジカルトレーニングの効果で150キロ前後の球速が2、3キロアップし、新球種にスプリットを加えたことで今季は飛躍的に奪三振が増えた。

▽大学で注目集める

則本は滋賀・八幡商高から三重中京大へ進んだ。2年生時に続き4年生で出場した2012年の全日本大学選手権で一躍注目を集めた。

1回戦の大体大戦、延長十回で20三振を奪い、延長戦で参考記録となったが、大会最多記録の19奪三振を上回った。

取材していて「三振は取れる投手」という印象はあったが、実のところ今日の活躍は想像できなかった。

大会では廃校なる三重中京大のエースという話題の方に注目が集まっていた。ただ、ひた向きなマウンド態度と淡々とした受け答えには好感を持った。

▽ドラフト2位

その年のドラフトでは楽天から1位ではなく2位指名されての入団だった。

だが、先発ローテンションの一角を占め15勝8敗。田中将大(ヤンキース)ばかりが目立った巨人との日本シリーズでも勝つなど新人王を獲得した。

この1年目は奪三振こそ134と目立たなかったが、2年目の14年にはエースとして7完封を含む14勝を挙げ、奪三振も大台に乗せ204。3年目10勝、奪三振215、4年目11勝、奪三振216と順調に伸ばし、年俸は2億円(推定)となった。

今季は既に1完封を含む8勝(6月29日現在)と、首位を走るチームの原動力となっており、奪三振も119で奪三振率は実に11・90。1試合だと約12個の三振を奪う勘定になる。

心配もある。多くの三振を取るということは多くの球数を投げることになる。肩、肘への負担は相当なものだ。優勝を争う現状ではなおさらだ。

ベテランの梨田昌孝監督のことだから、細心の注意を払っているとは思う。則本も「勝つことが一番」と、三振にこだわってはいないのがいい。

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選ばれたトップクラスの実力者だけに、故障には気を使ってもらいたい。

▽速球投手列伝

80年の歴史がある日本球界で「速球投手列伝」を挙げるのは難問だろう。時代ごとに名を残し記録を残した名投手は多くいるが、「列伝」となると選手の個性も加わり、ファンそれぞれの思いも加味される。それこそ枚挙にいとまがないことになる。

剛速球投手の代名詞といわれ、主に本格派投手が選ばれる「沢村賞」の沢村栄治にはじまり別所毅彦、金田正一、村山実、尾崎行雄、堀内恒夫、江夏豊、鈴木啓示、津田恒実、江川卓、野茂、松坂大輔、藤川球児、ダルビッシュ、大谷翔平らを挙げてみたが、これとて独断と偏見と指摘されるだろう。正解はない。

▽山口が一番速い

こんな二人を取り上げてみた。元阪急の山口高志と元南海で故人の杉浦忠である。

山口は関大―松下電器から1975年に阪急に入団し、在籍8年で50勝を挙げた右腕だが、実質は入団4年間で47勝の短い現役生活だった。

剛速球という形容がピッタリくるが、この山口が一番速かったという打者は実に多い。

「太く短く」という生き方通り「いかに速い球を投げるか」に全てを注いだ野球人生で、「君は山口高志を見たか」(講談社刊)という本がある。

身長170センチと小柄ながら、がっしりとした上体を力の限り一気に前に折り曲げる変則的なフォーム。9割方が直球で160キロ近かった。

それより「怖いぐらいの球」といったらいいか、打者は荒れ気味の剛速球に手を焼いた。江川と同様に高めの球に威力があった。

余談だが、則本の背番号は「14」で、山口さらに沢村、無安打無得点試合を3度(うち1度が完全試合)も達成した外木場義郎も同じ14だった。ちなみに、山口は阪神でコーチを務め、藤川などの育成に携わった。

▽横手投げの速球派

杉浦は珍しいサイドスローの速球派だった。長嶋茂雄、本屋敷錦吾とともに「立大三羽がらす」といわれ、南海に入団。13年間で187勝を挙げたが、1959年には38勝4敗という今では絶対できない成績が燦然と輝く。

その年の巨人との日本シリーズで4連投4連勝の偉業。さらにシーズン奪三振は336で、翌年も317。その速球の威力が想像できる。

右腕の血行障害が原因で引退したが、その速球と大きなカーブがすごかった。当時の夜のスポーツニュースのタイトル映像として使われた。

西鉄の強打者、豊田泰光がそのカーブにのけぞってよけたら「ストライク」とコールされるシーンは今でも目に浮かぶ。

よく取材したが、杉浦のストライクゾーンはわずか4分割。力で三振を奪った。紳士然とした風貌、ゆったりとした口調も激しいプロの世界にそぐわず、どこにそんな力が秘められているか興味深かった。

速球を語る上で「君は杉浦忠を知っているか」とつい口に出てしまう投手だった。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆