他の競技もそうだろうが、特にサッカーは現場で観戦する方が競技の全体像について理解しやすい。広大なピッチの一部分が切り取られるテレビ画面では見えないところの方が多いからだ。ただ、ときには映像を通してしか分からない真実もある。その意味で、韓国で開催されているU-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)をテレビ観戦していて、とても興味深いことに気づいた。日本サッカー界が25年間、公式的にはバージョンアップしてこなかった常識の一項目を、15歳の久保建英が何げなく上書きしていたのだ。

Jリーグ開幕前年の1992年3月。日本サッカー協会は史上初の外国人監督となるハンス・オフトの就任を発表した。「ドーハの悲劇」とともに名前を記憶されるオランダ人指導者は、間違いなく日本サッカー界に基礎を築いてくれた監督だ。彼の存在なしに、後のW杯5大会連続出場はなかっただろう。規律に厳しく、基本に忠実な指導者。「中学の教師のような」と評されたオフトは、ベースができていない段階で、余計なことをすることを嫌った。パソコンを初期化するかのように、それまでの日本のやり方を白紙に戻した。その上で選手に与えたのが、いくつかのキーワードだった。

「コンパクト」「スリーライン」「トライアングル」「アイコンタクト」。これらは、現在の指導でも使われているものが多い。ところが、当時の日本代表で反旗を翻す一派があった。ラモス瑠偉を筆頭とするヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の選手だ。日本リーグの読売クラブ時代から、ブラジルの「マリーシア(ポルトガル語で抜け目のなさ)」色が濃いことで知られた面々だ。「冗談じゃないよ…」。特にラモスが拒否反応を示したのはアイコンタクトだった。「子どもじゃないし、パスを出すときに味方同士で視線を合わせていたら相手に分かるよ。だからヨミウリ(クラブ)はパスを受ける相手を見ないんだよ」。そして口癖の「冗談じゃないよ」を連発、かなり怒っていた思い出がある。

「目は口ほどに物を言う」ではないが、相手の視線からはかなりの情報が得られる。シュートを打とうとしている選手は、必ずどこかのタイミングでゴールを見るからだ。それを考えれば、当時は「ノールック」の言葉さえなかったが、読売クラブの視線を合わせないサッカーは、かなりハイレベルだった。アイコンタクト。育成の段階では必須だろう。しかし、レベルが上がるに従って、相手に意図を悟られてしまうというマイナス面も含んでしまう。特に攻撃の局面で、ラストパスを通す場合は…。日本協会が「アイコンタクト」を推奨したのは記憶にあるが、どの年代から「ノールック」をやればいいかは聞いたことがない。選手の自己判断なのだろうか。

久保の話に戻そう。今回はテレビ画面だからこそ気づいたのだが、この恐るべき少年のラストパスはほとんどがノールックなのだ。第1戦の南アフリカ戦。交代出場直後の後半14分に小川航基のGKとの1対1をつくった中央へのスルーパス。そして後半27分の決勝点のアシスト。左サイドからゴール正面の小川に顔を向け、堂安律にマイナスに折り返したラストパスも視線でDFを欺いている。

0対2での敗戦だったウルグアイ戦でも、決定機をつくり出した。後半22分、右サイドの岩崎悠人に通したスルーパス。岩崎のシュートはGKにセーブされたが、中央から通したラストパスもノールックだ。しかも、左利きの久保は体の正面が左を向いている。ここから体のヘソ部分を中心に、ひねるように右方向に蹴る左足インサイドキックの蹴り方は、日本では指導されない。これは利き足こそ逆だが、バルセロナの監督だったグアルディオラが現役時代に得意としたキックだ。久保には間違いなくバルセロナの何かが染み込んでいる。そう思わせるプレーだった。

メディアが持ち上げ過ぎという声もある。ただ、育成年代とはいえ世界最高のバルサで、シビアな競争を繰り広げて勝ち抜いていた事実がある。久保のプレーを見ると、勝負の優劣を左右する要素は細かなことの積み重ねなのだとあらためて思い知らされる。駆け引きも含めたすべての要素の緻密さを、日本中の関係者が共有すれば、世界のトップとの差を縮めることも不可能ではない気がする。そのためには常識を上書きするバージョンアップは不可欠なのだ。

岩崎 龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材は2014年ブラジル大会で6大会連続。