日本カーリング界をけん引してきた力に、あらためてうならされた。

3月5日まで北海道北見市で行われた日本混合ダブルス選手権は、2002年ソルトレークシティー、06年トリノ、前回14年ソチと3度の冬季五輪に出場した小笠原歩のいるチーム阿部が初出場優勝を飾った。

高精度のショットを連発した小笠原は「自分たちの技術を信じていけばいいと思っていた」と貫禄たっぷりに語った。

男女がペアを組む混合ダブルスは18年平昌冬季五輪で採用される新種目で、日本協会は1年後に向けて4人制の有力選手で構成する推薦枠を特設して大会に派遣。ママさんカーラーとして抜群の実績と知名度のある38歳の小笠原と、元日本女子代表監督で37歳の阿部晋也が組んで推薦出場し、結成10日ほどで見事に日本一の称号を手にした。

4人制とはルール、戦い方が異なる。4人制は一人2投ずつを続けるが、ダブルスは5投のうち、最初と最後の担当と2~4投目に分かれる。

ストーン(石)をハウス(円)の内外に置いた状態で始めるため、石がたまり得点が入りやすい。チームでは司令塔役のスキップを務める小笠原だが、掃いてショットの距離、曲がり具合をコントロールするスイープの力作業が必要になった。

急ごしらえの推薦枠でほか2チームが適応に苦しんだ中で、チーム阿部、特に小笠原は特別だった。「体力も若手と一緒に同じ練習をしてきたので問題ない。いい位置にショットを決めるというカーリングそのものは変わらない」という冷静かつ自信たっぷりな語り口同様の姿を氷上でも披露。1投目で着実にハウス内の石に寄せて相手に重圧を掛け、最後で得点機をものにする好ショットを決め続けた。幼なじみでもある阿部は「安心してラストショットを任せられた」とパートナーをたたえた。

小笠原は北海道銀行のチームで臨んだ2月の日本選手権で優勝できず、チームとして平昌五輪への道が断たれていた。目標がついえた直後の混合ダブルス出場打診に、返答期限近くまで悩んで挑戦を決めたという。

気持ちの切り替えが難しかった状況でも、すぐに結果を出したあたりに、五輪世界最終予選など大一番で結果を残してきた勝負師としての気概が見えた。

チーム阿部は平昌五輪出場権の懸かる世界選手権(4月22日開幕・レスブリッジ=カナダ)代表に決まった。小笠原は「子どもを預けたりしないといけないし、どうしよう。また(強化合宿などで)大変な1カ月が再び来るのかと思うと…」と冗談交じりに話した。

それでも「この年齢になって夢を追えるチャンスがあるのはうれしいこと」と意気盛ん。平昌五輪への切符を獲得するには、世界選手権で3位以上と日本勢過去最高成績が目安となる。極めて高いハードルだが、何度も難関をくぐり抜けてきた小笠原が、新たな挑戦でもハードルを飛び超えてくれるのではないかと期待している。

伊藤 貴生(いとう・たかお)1977年生まれ。鳥取県出身。他社での記者経験を経て2005年に共同通信入社。3年間、札幌支社でプロ野球日本ハム担当。本社運動部、名古屋支社運動部と移り、15年5月から本社運動部でアマ野球、ボクシングなどをカバーしている。