近年、人気が低下しているとされる野球。それでも、現在日本代表が戦っているワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に足を運んだ多くの子供が、選手達の活躍を目の当たりにして、将来のプロ野球選手を夢見ているのだろう。

日本のレース界でも、そんな夢を持ち、後に「日本で一番速い男」と呼ばれたレーシングドライバーがいる。星野一義氏(69)だ。そんな星野氏がまだ中学2年生の頃、レーシングドライバーへと夢見るきっかけを作ったのが、当時ホンダの二輪ライダーであった高橋国光氏(77)と北野元氏(76)であった。後に、この2人は日産へ移籍し、四輪レースでも大活躍。星野氏は、その後を追うようにして日産入りすることになる。そこからの活躍は大いに知られている通り。

「僕にとってホンダというのは、常にダントツで速くて、競争相手がいない存在。レギュレーションが変わっちゃう。そして、誰よりも先に参入する。ホンダも、やらせた本田宗一郎さんも本当にすごい。僕のレーシングドライバーとしての人生やレースビジネスにおいては、ホンダのそういう部分をまねしてきました。誰よりも速く走ってやろう、誰よりも勝ってやろう、とね」と、自身のレース哲学そのものが、ホンダや創業者の本田宗一郎に影響されたものだと教えてくれた。

その星野氏が4日に三重県・鈴鹿サーキットで行われたモータースポーツファン感謝デーのイベントで1966年に世界グランプリ250CCクラスのタイトルを獲得したホンダRC166でデモランを披露した。「僕はホンダの二輪にずっと憧れていましたが、今回、北野元さんと高橋国光さんが、ホンダの八郷隆弘社長へ掛け合ってくれて、イベントといえども、僕が当時憧れたRC166に乗せてくれるという。口添えしてくれた先輩たち、それを快く聞いてくださったホンダと、僕が乗ることを許可してくれた日産には感謝しかないよ」とずっと笑顔だった星野氏。

その星野氏の憧れの存在であり、夢の実現を手助けした北野氏は「星野君が中学の頃から憧れてくれて、今回、ホンダのバイクに乗りたいと言ってきた。あの星野君が言うのだから乗せたいでしょう?」と語り、こう付け加えた。「僕がマン島に行ったとき(60~61年)、僕や高橋君はホンダのために走ったのだけど、それはもう日本のためという雰囲気でした。僕たちも命を懸けて走っていましたよ。本田宗一郎さん始め、当時の日本メーカーはみんな無謀な兆戦をしていました。でも、それがなければ日本の自動車産業は世界のトップランナーになれなかったかもしれない」

人に感動を与え、人生に影響を与える力がレースにはある。星野氏や北野氏の言葉は、いまF1で苦戦しているホンダスタッフたちへの、鼓舞と言えるだろう(モータージャーナリスト・田口浩次)