新しいシーズンの最初に訪れた試合が楽しいと思えた観客は、その後のシーズンに大きな期待を抱くだろう。その意味で、J1が開幕した2月25日に横浜市の日産スタジアムへ足を運んだ人はゴール前の攻防が多かった試合内容に満足できたのではないだろうか。

両チーム合わせて5ゴールが記録された横浜M対浦和の一戦。横浜Mが3―2で勝利を収めた試合は、細かいところを見れば両チームともに守備のまずさがあったことは否めない。それでも、サッカーにとって一番のハイライトであるゴールで観衆が沸いたことは、悪くはないことだった。

立ち上がりから動きの多い試合となった。起点となったのは、横浜Mは斎藤学、浦和は宇賀神友弥。両チームの左サイドだ。横浜Mは4分に斎藤の突破からダビド・バブンスキー、浦和は6分に宇賀神のクロスから青木拓矢がフリーの得点チャンス。得点になってもおかしくない決定機を作り出した。

サイドに突破力のある選手がいて、正確なラストパスが入る。そうすれば決定的なチャンスが生まれる。なぜか。サイドからの攻撃に対して、守備側の選手は必ずといって良いほどボールがやってくる一方向に視線を向ける。攻撃側はDFの背後からゴール前に入り込めば、フリーでシュートに持ち込める可能性が高いからだ。ただ、育成年代におけるパスサッカー重視の弊害からか、このところの日本には純粋なドリブラーがほとんど見当たらなくなっていた。

ところが、この日の両チームには希少価値のタレントがそろっていた。1対1になったら、「まず勝負」を選択するという選手だ。

3―4―3システムを採用する浦和の場合は、アウトサイドの選手がドリブルで相手を打ち負かせば、その時点で相手ゴール前での数的優位を生み出せる。だから、左サイドに宇賀神、右サイドに駒井善成、関根貴大という突破力のある選手をそろえている。

一方、横浜Mの斎藤はドリブルそのものがチームの戦術だ。相手を引き付けた上でのラストパスに加え、左からカットインしての右足シュートもある。相手の体重移動を瞬時に感知して逆を取るうまさ。緩急の変化。何より、足元に吸いつくボールコントロール力と切れ味の鋭さ。斎藤こそは、今や誰もが認める日本最高ランクのドリブラーだろう。

今季、磐田へ移籍した中村俊輔の「背番号10」を受け継ぎ、左腕にはキャプテンマークを巻く。立場が人を成長させるというが、その好例が斎藤ではないか。仲間からの信頼感も抜群だ。1学年上で横浜Mユース時代からのチームメート、左サイドバックの金井貢史は「ライン際で追い越して、(斎藤)学のスペースを消さないようにした」といっていた。それは斎藤がボールを取られないということを前提にした判断だった。

立ち上がりから全開でいった両チームの左サイド。試合経過とともに消えていった宇賀神とは対照的に、斎藤は最後まで存在感を誇示し続けた。

ボールを取りにいけば、あっさりとかわされる。かといって、動きを見ているばかりでは好き勝手にプレーされてしまう。守る側にとって、この日の斎藤は手がつけられなかった。しかも、斎藤がボールを持てば浦和は2、3人の選手がコースを消すために詰め寄ってくる。「個」が作り出す違い。それが生じた瞬間こそ、横浜Mにとって数的優位が生まれるチャンスを意味していた。

前半13分、マーカーの森脇良太を置き去りにし、左サイドからマイナス気味でバブンスキーに送ったラストパス。1990年代半ばにG大阪でプレーしたDFのボバン・バブンスキーの息子で、2歳から4歳までを大阪で育ったバブンスキーはこの優しいプレゼントパスを左足で繊細にタッチ。GK西川周作の手が届かない空間を巻くシュートを左サイドに突き刺した。

そして、2―2で迎えた後半ロスタイムの47分。またも同じ形の突破からペナルティーエリア正面に走り込んだ前田直輝に、斎藤は丁寧なラストパス。前田は体重移動したGK西川の逆を突くゴール左隅へのシュートで、浦和を下す決勝点を挙げた。

「戦術はロナウド」。かつてFCバルセロナを率いたボビー・ロブソン監督は自チームの戦い方を表現する際に、2002年日韓ワールドカップ(W杯)で得点王に輝き、母国ブラジルを優勝に導いた“怪物"を引き合いに出していた。それをこの試合の横浜Mに当てはめれば、戦術は斎藤だった。裏付けるように、浦和のペトロビッチ監督は記者会見で「今日はマリノスに負けたというよりも、斎藤に負けたと」とコメント。横浜Mの新キャプテンに最大限の賛辞を贈った。

ところが、感じ方というのは多様だ。はた目からはキレキレのプレーに見えた斎藤の自己評価は「今日は調子が悪かった」。予想外の低評価が、後半18分にGKと1対1になったのにシュートを外した悔しさから来るものかは分からない。確かに1点が加えられ2―0になっていれば、その時点で試合の決着がついていた可能性は高い。それにしてもだ。もし、あのシュートミスをもって「調子が悪い」というのなら、今年の斎藤は自分自身にかなり厳しい。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。