第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を主催するメジャーリーグ(MLB)と同選手会が本腰を入れない限り、シーズン前の3月開催は動かせないだろう。MLBはワールドシリーズを頂点としたレギュラーシーズンが全てというスタンスに変わりなく、この時期がネックとなり米国も「ドリームチーム」を組めない。

過去3大会で最高成績が第2回のベスト4というのがそれを物語っている。米野球関係者の間では危機感があり、今大会での戦いが注目されているが、逆に米国内で行われる試合の不人気から「WBCから撤退」などという噂も聞こえてくる。

▽前田、田中は不出場

大谷翔平(日本ハム)の右足首故障での不出場は別にして、日本もそのあおりを受けるように、前田健太(ドジャース)や田中将大(ヤンキース)らが球団の方針や自分の意思で不参加を表明。メジャー選手の出場は青木宣親(アストロズ)ただ一人だけ(前回はゼロ)。

一方、前回大会優勝のドミニカ共和国など中南米チームは積極的で、メジャーのスター級をそろえる。

2月に発表された登録選手を見ると、過去に米オールスター戦に選ばれた選手は実に63人に上る。

ドミニカ共和国のGMは前回優勝したとき「イチローやダルビッシュ(有)のいない日本のベスト4は称賛に値する。この大会でメジャー選手抜きの編成は考えられないからだ」と語ったものだ。

侍ジャパンはこんな日本野球への評価を覆せるか。過去3大会を振り返ってみた。(選手の所属は当時の球団)

【第1回(2006年)は松坂がMVP】

韓国を破った日本とドミニカ共和国を撃破したキューバの決勝となり、王監督の日本が10―6で初代王者に輝いた。

4点を先制した日本は八回までに1点差と追い上げられたが、九回にイチロー(当時マリナーズ)が適時打。イチローとともにメジャーから出場の大塚晶文(当時レンジャーズ)が抑えた。

3勝を挙げてMVPに選ばれた松坂(当時西武、現ソフトバンク)は「シドニー五輪や04年のアテネ五輪準決勝で打たれた雪辱を果たし「今まで結果が出ていなかったので、勝てたことが一番」と、日の丸を背負ってのマウンドを振り返った。

▽大ピンチだった日本

日本にとっては苦戦の連続での世界一達成だった。2次リーグの米国戦では八回に岩村明憲(当時ヤクルト)の左犠飛で勝ち越したと思ったら、三塁走者の離塁が早いとの米国の抗議に、二塁塁審の「セーフ」の判定を米国人球審が覆して無得点。サヨナラ負けした王監督は「野球がスタートした米国でこういうことがあってはならない」と怒った。

その米国がメキシコに敗れる波乱で3チームが勝敗で並び、日本は失点率(失点を守備イニングで割る)で辛うじて準決勝に進んだ。

▽イチロー発言

韓国と大会3度目の対戦となった準決勝は6―0で快勝。「日本が同じ相手に3度負けることは許されない」と言っていたイチローは「このチームは本当にいい」と、王監督の下にがっちりスクラムを組んだ代表チームを自慢した。

そのイチローが大会前に「向こう30年は日本に勝てない、と思わせる勝ち方をしたい」と発言して物議を醸したが、日本野球の存在感を示そうとした発言と受け取れた。

いずれにしても、五輪野球で金を取れず、04年のストライキにまで発展した球界再編騒動で失墜したプロ野球人気をよみがえらせた優勝だった。

【第2回(2009年)イチロー殊勲打】

日本では「WBC」が流行語になるなど人気沸騰。イチロー、城島健司(当時ともにマリナーズ)岩村(レイズ)福留孝介(当時カブス)松坂(当時レッドソックス)らがメンバー入り。ニックネームの「侍ジャパン」が生まれた。

原監督率いる日本は準決勝で米国に9―4で快勝した。準決勝から藤川に代わり抑え役に回ったダルビッシュが150キロの速球を中心に力勝負でねじ伏せた。

元巨人の米国・デーブ・ジョンソン監督は「日本は投打にいい野球をした」と語ったが、ベスト4止まりに米国内では準備不足と緊張感のなさを指摘する厳しい声が出た。主催国のふがいない戦いぶりは大会に水を差し、米国での観客動員に影響した。

▽韓国と実に5試合

敗者復活を含めたダブルエリミネーション方式のトーナメントが採用されたため、日本は韓国と1次、2次で1位決定戦などで4試合も戦い、決勝では実に5度目の対戦。他グループでもこうした同一対戦が多くなり、人気面でマイナス要素となった。

2勝2敗で迎えた韓国との決勝。日本は九回に追い付かれ3―3。延長十回2死二、三塁でイチローが決勝の中前2点適時打し、その裏をダルビッシュが締めくくって、大会連覇を達成した。

▽神が降りてきた

大会を通じて不調のイチローはしびれる場面で決勝打。「僕は持ってますよ。神が降りて来た」と珍しく興奮気味だったが、レギュラーシーズン開幕から8試合欠場した。胃潰瘍を悪化させ初めて故障者リスト入り。「あの(決勝の延長十回)打席以上のものはない。結果を出せなければ、今までの僕が全て消されると思った。野球をやりながら『命を削る』思いをしたのはあのときだけだ」との後日談を残した。

【第3回(2013年)は準決勝敗退】

3連覇を狙う日本はメジャー選手の出場がない初めての大会。準決勝のプエルトリコ戦は3点を追った八回に反撃に転ずる。井端弘和(当時中日)の適時打と内川(ソフトバンク)の安打で1死一、二塁として阿部慎之助(巨人)を迎えた。

試合の流れを一気に引き寄せようと「重盗にいってもいいというサイン」が出た。井端が三塁へ走りかけたが、思うようなスタートが切れずすぐ止まった。ところが内川は井端が走っているものと思い込み二塁近くまで進んでいてタッチアウト。機動力が裏目に出て1―3で敗れた。内川は「僕のワンプレーで終わらせてしまった」と涙を浮かべた。

▽後手に回ったチームづくり

日本にとっての大きな反省点は監督選びなどチームづくりが後手に回ったことだ。日本プロ野球選手会が不参加を表明したのは前年の7月。分配金の6割以上を主催者のMLBなどが吸い上げる構造に異を唱えたのだ。

選手会が強硬手段に訴えようとしたのだが、一部に改善が見られるとして9月に一転、参加表明となった。

このあおりを受け監督選びが進まず、山本浩二監督の就任は10月に入ってから。メジャー選手への交渉などチームづくりに支障が出たのである。

▽「本気で勝ちに行った」

決勝は野球どころのドミニカ共和国とプエルトリコの中南米対決となり、ドミニカ共和国が3―0で勝利した。第1次から負けなしの8戦全勝での優勝はもちろん初めてだったが、メジャー選手たちが「本気で勝ちに行った結果」と評された。

中南米ではオフにウインターリーグが開催される。多くの選手たちがWBCに備えられる好環境にあったのは間違いない。米国代表のジョー・トーリ監督は「選手の仕上がり具合が違っていた」と振り返った。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆