海の向こう側から伝わってくるニュースが、耳に心地よい。サッカーの本場である欧州を舞台にした日本人選手の活躍。そのほとんどがドイツ限定というのが、少し寂しいが。

先日、ドイツ1部リーグのケルンに所属する大迫勇也が1月の同リーグ月間MVPに輝いた。ウインターブレーク明けとなる1月は第17節と第18節しか開催されなかったが、大迫は同28日の第18節ダルムシュタット戦で2得点1アシストの活躍を見せ、リーグが選定する同節のMVPを獲得した。それが月間MVPにもつながったみたいだ。

すばらしいニュースに感心していたら、ドイツ1部リーグ第19節のMVPには原口元気(ヘルタ)が輝いた。2週連続で日本人選手が同賞を獲得したことになる。

さらに、同節では長谷部誠(フランクフルト)が試合の流れの中でPKを決めている。本人も「初めて」と語っていたが、チーム内で相当の信頼を置かれていなければキッカーを任されるということはないだろう。

このような活躍が伝わってくる一方で、海外で出番を失っている日本人選手が数多くいるのも現実だ。イタリア1部リーグのACミランで構想外となっている本田圭佑については多くの人々が関心を持っているはずだ。だが、この冬のマーケットでの移籍を本田は望まなかったらしい。

3月に再開するワールドカップ(W杯)ロシア大会のアジア最終予選。大一番を控える日本代表にとっては、この状況は決してよくないことだ。プロのフットボーラーとしても、本田がプレー機会を求めて移籍しないことに対して疑問符が付く。ただし、幅広く事業を行っているビジネスマンという視点で30歳の本田を見ると、「ACミランの10番」というのは間違いなく世界で通用するブランドだ。本田はそのイメージを優先させたのだろうか。いずれにしろ、人それぞれの生き方があるのだから、他人が口を挟むべきではないのだろう。

同じようにスペイン1部リーグのセビリアで出番を失っていた清武弘嗣。今や日本代表に欠かせない存在となった、新たなコンダクターの選択は本田とは対照的だった。移籍市場が開いている時点で欧州の他クラブからのオファーもあったようだが、それを断って4年半ぶりに古巣であるJ1のC大阪に戻ってきた。欧州で一働きを終え「最後は日本で」というのではなく、27歳という選手として最も脂が乗っているであろう時期での日本復帰となる。それは今までの日本人選手にはないパターン。表現は悪いが、かつてなら「都落ち」だ。

7億円ともいわれる移籍金をC大阪が用意したことは大きい。さらに言えば、C大阪には完全移籍で海外に手放した選手を呼び戻すという前例があったのもよかった。2015年12月にドイツ1部リーグのハノーバーに渡った山口蛍が約半年で戻ってきたのだ。

山口の日本復帰について、ハリルホジッチ監督は「レベルの低いリーグに戻ってきた」と否定的だった。しかし、昨年10月に行われたW杯最終予選のイラク戦ではその山口が挙げた劇的な決勝点によって救われたのも事実だ。そもそも、あのゴールがなければハリルホジッチ監督がいまも日本代表監督であったかはわからない。

清武がセビリアでレギュラーの座を張り、スペイン一部リーグや欧州チャンピオンズリーグ(CL)で常時プレーできるのならば、これ以上望ましいことはない。ただ、いくらレベルの高い選手たちとトレーニングを積んだとしても、試合に出られないのなら成長の度合いは限られる。それ以上に、心に悪い。フットボーラーは試合をしてこそのフットボーラー。レベルを少し落としても、試合に出続けられる環境を求めるべきだ。

欧州の四大リーグに比べれば、確かにJリーグは数段レベルが落ちる。だが、アジアの中でとなると、そう劣るものではない。確かに、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)において、日本のチームはここしばらく、早々に敗退している。その差はどこにあるかと考えると、外国籍選手の差だろう。日本人選手が韓国や中東、ましてや超高額の助っ人を除いた中国に劣っているわけではない。

それを考えれば、清武のJリーグ復帰は歓迎すべきものだろう。何より、海外組を重用してきたハリルホジッチ監督がJリーガーをより起用しやすくなる。試合に出場できず、長時間移動でさらにコンディションを悪化させる「海外組」より、活躍できそうな「国内組」は数多くいるのだ。さらに、C大阪で見せる清武のプレーを目当てに競技場に足を運ぶ人もいるだろう。それは結果的にJリーグの人気につながるということだ。

W杯本大会での清武の「感覚」を心配する人もいるかもしれない。だが、清武には欧州で積んだ4年半の経験がある。彼ほどのセンスがあれば、外国人選手とのプレーの距離感は身に染みているだろう。その意味で、清武の日本復帰にはプラス面こそあれマイナス面はない。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。