監督が結果を出せずに解任されることはよくあるが、中日初のゼネラルマネジャー(GM)の落合博満氏が、成績不振の責任を取り1月末で退任する。

メジャーでは監督のみならず、ユニホーム組に関する全ての権限を持つGMが“クビ"になるのは当たり前で、中日もその伝でいけばメジャー流と言えそうだが、根っこにあるのは親会社および球団上層部の勢力争いの結果という臆測がもっぱらである。

▽優勝監督の首を切る

落合GMが誕生したのは2013年10月だが、そもそもの始まりはその2年前のことだ。まだシーズン中の11年9月に球団が突然、落合監督の退団と高木守道監督の来季からの就任を発表した。

落合監督退団の理由は契約切れ。ただ、その年の中日は大逆転優勝をやってのけ、落合監督は8年間で4度の優勝と日本一1度と抜群の結果を残しながら「首を切られた」。

勝つためとはいえ選手補強やコーチ陣強化に金を使い過ぎると、反落合派が猛反発した。

勝てば選手の年俸は上がり、その割には観客動員が伸びず球団経営を圧迫する。かつてのパ・リーグ球団によく見られたことだが、その責任を監督一人に押しつけるのも、いつものパターンだった。

▽「オレ流GM」誕生

球団の決定に静かに従った落合監督を買っている白井文吾オーナー派が巻き返す。

高木監督が2、4位の成績に終わると、再び落合氏を担ぎ出す。最初は監督の要請だったと思うが、落合氏がGMとして腕を振るいたいという強い希望で「オレ流GM」が誕生し、監督には谷繁元信捕手を指名した。

この3年間の結果は4、5位そして昨季は19年ぶりの最下位で、2リーグ制後では球団初の4年連続Bクラス(4位以下)となった。

▽若返り策

落合GMは在任中に選手の総年俸の大幅な削減を行う一方、約40人を戦力外とし50人を獲得する若返り策でチームを変えようとしたが、即戦力選手が結果を出せないこともあって、そのチームづくりに疑問符が付けられた。でも、わずか3年間では厳しい。

GMと監督との意思疎通がうまくいっていないこともあるが、私は軸になる選手を置けなかったことも一因だと思う。これが落合監督ならまた違っていただろう。後任のGMは置かないそうだが、中日がチームづくりのプロを育てようとしないのは残念だ。

▽本拠地移転で変貌遂げる

昨年のチャンピオン日本ハムは2004年に東京ドームから札幌にフランチャイズを移してから球団が変わった。ひと言でいえば、それまでのどんぶり勘定ではなく球団の近代化に成功したのだ。

球団は親会社の広告塔という日本プロ野球の典型的な球団だと何度も痛感させられていた。球団の赤字は親会社から補填してもらうため、球団フロントの努力などしなくてよかった。

それが移転を機にGMがチーム編成の責任を負い、監督が選手を育て戦う分業化を徹底して変貌を遂げた。5度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ制覇がなにより雄弁に物語っている。

▽ヘッドハンティングで入団

日本ハムは現在の吉村浩GMで3代目となる。新聞記者からパ・リーグ職員となり、メジャーのタイガースでGM補佐を3年。帰国後は阪神に3年間在籍し、05年にヘッドハンティングで日本ハムのGM補佐になり、15年からGMに就任した。52歳。

選手経験がないGMはメジャーにもよくいる。吉村GMはデータ重視の一方でアナログ的な情報を加味して日本ハムに必要な選手を調査している。

メジャー仕込みのデータベースの「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」を駆使して、自チームのみならず他球団選手も数値化している。

05年のドラフト会議で1巡目指名したのが当時高校生だった陽岱鋼。吉村氏の進言で初めて調査に出向いたスカウト部長が陽岱鋼の素質にびっくりしたという。

▽コスト意識も

栗山英樹監督を誘ったのも吉村氏。その狙いは監督を経験した後、GMの仕事をしてもらいたいとの構想があるとも言われている。

吉村GMのすごいのは、球団の予算をオーバーせずやり遂げること。コスト意識も明確で、まさに球団の決算の一端を担うGMらしい。

吉村GMが主導してドラフトやトレード戦略が進められる。現在巨人にいる長野久義や菅野智之らをドラフトで敢然と指名し拒否されたのは記憶に新しい。

その中で私が注目したのが“ハンカチ王子"斎藤佑樹である。ご存知の通り伸び悩んでいるが、抜群の人気を誇った斎藤を、ある程度実力に目をつぶって獲得したのは「プロ野球の責務」と考えたとしても不思議ではない。もちろん、斎藤がプロ志望だという前提は欠かせなかったが。

▽オーナーとの信頼関係

GMはオーナーや球団との信頼関係がないと成功しないのは、中日の例を見るまでもない。

西武やダイエー(現ソフトバンク)でGMとしての手腕を発揮した根本陸夫氏は、広島時代に松田恒次氏、西武では堤義明氏、ダイエーでは中内功氏から絶大な信頼を得ていた。

松田氏は「全敗してもいいからいいチームをつくってくれ」、堤氏からは「コーチ陣編成、トレード、選手の契約更改のすべてを任せる」、中内氏は「優勝できるチームを」と言われた。

▽ファンに夢を与える

日本球界の実質的初代GMだった根本氏で印象に残っているのは次の言葉である。「プロ野球が大衆の中にこれだけ入れば勝ち負けだけでは駄目だ」

西武時代は長嶋茂雄氏の招聘を画策し、ダイエーでは王貞治氏の監督就任を実現させた。そして日本シリーズで国民的英雄だった「ON対決」をファンに見せた。

落合氏になくて吉村GMにあるもの。それは、常にファンを視野に入れている姿勢なのかもしれない。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆。